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 01: イズミ、決意する

 1月29日(月)

 こんな中途半端な日から日記をつけ始めるのは、ちょっとヘンかもしれない。
 けど、オレは決意した。
 今日から毎日、日記をつける、と。

 昔、学校の先生に言われてつけ始めた日記は、三日坊主で終わった。
 今回はそんな訳にはいかないので、決意表明のため、兄ちゃんと姉ちゃんにさっき電話を入れておいた。
 ていうか、兄ちゃんに電話したら、姉ちゃんも一緒だった。そりゃ、あの2人のことも応援はするけど、姉ちゃんはオレの理想のスイート・ハートなだけに、平日の夜中に一緒だなんて、ちょっと許しがたい。勿論、しっかりクレームを入れておいた。

 いや、兄ちゃんと姉ちゃんの話はどうでもいい。
 問題は、母ちゃんと忍の方だ。

 母ちゃんにこの前、忍との関係を聞いたら、「友達以上、恋人未満」だと言われた。
 なんや、まだ襲ってないんか、と言ったら、殴られた。
 あんたはあたしを何だと思ってんのよ、と怒鳴るが、あんまり説得力はないと思う。母ちゃんが姉ちゃん並みの清純派だったら、そもそもオレは生まれてないんだから。
 勿論、オレが生まれてからの母ちゃん(つまりオレが知ってる母ちゃん)は、勉強にも仕事にも真面目で真剣な、なかなかイケテル社会人だけど、小学校に上がった辺りからは、それなりに遊んでもいるらしい。本人はバレてないと思ってるけど、オレには分かるんだぞ。子供のカンをなめたらアカン。
 ただ、母ちゃんの方から積極的に、っていうパターンは全くないらしい。言い寄ってくる中で、悪くないのと付き合ってはみるけど、結局母ちゃんが捨てる、というのが定番化している。この数年間、母ちゃんの彼氏らしき男どもは、オレが顔を覚える前に終わっていた。最短は1週間だ。ほぼ母ちゃんのやり捨てに近いと思う。だって、相手の男、それから3週間にわたって家に押しかけてきて、呼び鈴のピンポン攻撃を繰り返したんだから。

 いやいやいや。ちょっと待て。また話がずれてる。
 母ちゃんに捨てられた男どもの話は、どうでもいい。
 書かなきゃいけないのは、忍の話だ。

 とにかく、母ちゃんと忍の関係は、「友達以上、恋人未満」らしい。ついでに、襲ってもいないらしい。
 じゃあ、せめてキス位はしたんか、と聞いたけど、怒った母ちゃんは完全黙秘に転じてしまった。
 そこで、忍にも電話をして聞いた。
 「ハハハハハ、そないな真似するかいな。そら舞さんのことは好きやけど、そういうムードにはどっちもならへんわ」
 これが、忍の答え。

 …全く。
 いい歳した大人が、何をチンタラチンタラやってんねん!!!!

 このちっとも進まない恋愛ドラマが、あまりにももどかしいので、オレはその様子を日記に書くことにした。
 だから、この日記は、オレの日記というより、母ちゃんと忍の「観察日記」だ。
 普通の日記は三日坊主だったオレも、アサガオの観察日記は、ちゃんと種がとれるまで書き続けられた。だから多分、今回も大丈夫だろう。

 間違っても、「日記三日坊主仲間」の恭四郎より先に、ギブアップする訳にはいかないからな。


 【一口メモ】
  …それにしても、恭四郎の奴…いきなり日記つけ始めるなんて、一体どうしたんだろう?
  まあ、それ聞いて、興味本位で日記書き始める、オレもオレだと思うけど。


***


 「はい、朝倉です。―――あ、忍さん?」

 風呂上りで、廊下を裸足でぺたぺた歩いていたイズミは、居間から聞こえる声にピタリと足を止めた。
 居間を覗き込んでみると、受話器を握り締める妖艶美女の嬉しそうな顔が、そこにあった。

 この妖艶美女が、イズミの母・朝倉 舞である。
 緩いウェーブにしていた栗色の髪は、去年の秋、ばっさりとカットされ、今は肩までの長さになっている。恋をして髪を切るとはまた珍しいことだが、多分、イメチェンを図っているのだろう。ウェーブをやめて、毛先がくるんと外に跳ねるようなスタイルにしたら、前より若返った―――というか、少し幼くなったように思う。なお、実年齢は、現在30歳だ。

 ますます親子に見えへんな、と心の中で呟きつつ、舞の背後を通り過ぎる彼女の息子は、現在13歳。
 親子に見られることは滅多にないが、2人はれっきとした、血の繋がった親子である。

 居間のテーブルに置きっぱなしにしてあったポカリスエットのペットボトルを掴んだイズミは、フロアクッションの上に座り込んだ。
 蓋を捻りながらチラリと舞の方を見ると、まるで少女みたいに初々しい笑顔で、何かを楽しげに話している。電話のコードを指でクルクルさせるのは昔からの癖だが、そういう仕草も、なんだか中学生に戻ったみたいだ。
 あの舞が。
 普段なら、豊富な経験と外見を武器に、男なんて生かすも殺すもチョチョイのチョイ、といった感じの舞が。
 ―――中身も若返ったんちゃうか。
 思わず吹き出しそうになり、ポカリスエットが喉に詰まった。ゲホゲホ、とむせていたら、それに気づいた舞が受話器を手で押さえて振り返った。
 「ちょっと、イズミ? 大丈夫?」
 「だ…だいじょうぶ」
 「もー。慌てて飲まなくても、ポカリは逃げないんだから。落ち着いて飲みなさい」
 ―――そーゆー訳とちゃうんやけど…。
 まだゲホゲホむせつつ、イズミはそれでも一応、分かりました、と頷いておいた。舞も、うむ、と頷き返し、また電話に戻った。
 「あ、もしもし? ごめんなさい。イズミの奴が慌ててジュース飲んでむせてるもんだから、叱ってたの」
 違うっちゅーねん!!!
 女学生モードの母ちゃんの姿がおもろすぎるから吹き出してもーたんや、と怒鳴り返してやりたかったが、さすがにそれはやめておいた。更に2、3度、コンコンと咳をしたイズミは、首にかけていたタオルを外し、洗いざらしの髪をそれで乱暴に拭き始めた。

 イズミの髪は、明るい茶色に、所々、日本人らしからぬ金色が混じった、不可思議な色をしている。
 学校の先生達には、あまり評判がよろしくない。これは地毛だ、と何度も説明しているのに、2年や3年の担当教員にまではその説明が及んでいないのか、廊下などですれ違うと、あからさまに睨まれる。もっとも、赤ん坊の頃の写真を突きつけてやれば、全員、納得するしかないのだけれど。
 とにかく、幼い頃から何につけやたら目立ってきたこの髪を、イズミは結構気に入っている。
 でも最近、銀色メッシュもカッコイイかもしれない、などと思っている。
 今日、思い切ってその旨を心友(と書いて“しんゆう”と読む)の恭四郎に打ち明けたところ、非常にクールな答えが返ってきた。
 『それって、髪傷むんとちゃうの。それに、全体ならまだしも、メッシュで入れたら白髪に見えへんか?』
 …ごもっとも。
 想像してみて、少しは落ち着いて見えて大人っぽくなるかもしれない、なんて思ったイズミだったが、恭四郎の素直な意見を聞いて、さすがに試すのはやめようと思った。

 イズミが、こんな妙なことを考えるようになったのも、今、舞が嬉しそうに電話で話している、相手の男のせい。
 イズミの15歳年上の親友―――忍のせいだ。

 忍の髪は、サラサラした銀髪だ。肩より少し下まである長髪で、いつも後ろで1つに束ねている。
 日頃、決してサングラスを外さない忍だが、サングラスを外すと、どちらかと言うと優しげな京風味な顔をしている。もしあの素顔で髪が黒くて短かったら―――もの凄く普通の社会人だったと思う。背がやたら高くてヒョロヒョロしている点では目立つだろうが、今のような目立ち方はしなかっただろう。
 でも、今の忍じゃなかったら、友達にはならなかったかもしれない―――イズミは、そう思っている。
 銀色の長髪にサングラスをかけた忍は、最初会った時、なんだか異世界の人みたいに見えた。母親である舞とたいして歳が違わない、という事実を知ってもなお、“大人の男”といった印象より、何かゲームやアニメのキャラクターのような印象が強かった。だからこそ、緊張することも警戒心を抱くこともなかったのだ。
 親友の誓いを交わしたのは最近のことだが、初対面の時から、イズミは忍が気に入った。
 大人なのに、面白い奴―――社会人らしくないその外見も、そういう外見をよしとする中身も、忍は他の大人とはちょっと違うな、と思ったから。

 でも、よもや。
 よもや、その“面白い忍”を、ちょっとカッコイイと思うことになるとは。

 ―――アカンなぁ…。オレ、すぐ影響されやすい性格やからなぁ、昔から。
 ガシガシと頭を拭きながら、そっと舞の方を窺う。
 舞は、まだ機嫌良く話を続けている。「それでセキカワさんがね…」と何度も出てくるところを見ると、話題の中心は、舞の勤め先である生命保険会社の嫌味な上司のことらしい。きっと、何やかやと舞に嫌味ばかり言うあの牛に似たおばさんに、何らかの不幸が降りかかったのだろう。舞がセキカワさんのことを笑顔で話すなんて、それ以外ではありえない。
 そのまま暫く、舞の電話する様子を眺めていたら、急に舞が顔を上げた。
 「あら、やだ。ごめんね。取り次ぎのつもりが、話し込んじゃって―――今代わるわ」
 そう言った舞は、イズミの方を振り返り、手にした受話器を掲げて見せた。
 「イズミ、忍さんから電話よ」
 「―――って、オレ宛てやったん!?」
 「いいじゃないの、少し位。細かいこと言わないのっ」
 少し位、と舞は言うが、電話がかかってきてから、既に15分が経過している。眉を吊り上げるイズミに、舞は拗ねたように唇を尖らせた。
 いいから早く代わりなさいよ、とゼスチャーする舞をギロリと睨むと、イズミは腰を上げ、ドスドスと足音をたてながら電話台の前へ移動した。
 「じゃ、あたし、お風呂入って来るから〜」
 「…はいはい、いってらっしゃいまし」
 イズミにポン、と受話器を手渡した舞は、電話の時の上機嫌を引きずったまま、弾むような足取りで廊下へと歩き去った。…やはり、中身も若返ってしまったようだ。呆れるよなぁ、とも、微笑ましいなぁ、ともつかない微妙な表情を浮かべたイズミは、ため息をひとつつき、受話器を耳に当てた。
 「―――もしもし」
 『ああ、やっとイズミ君に繋がったわ』
 受話器から、忍の苦笑を含んだ声が聞えてきた。つられたように苦笑したイズミは、受話器をきちんと持ち直すと、床にぺたんと座り込んだ。
 「ごめん、母ちゃん、今日妙にハイテンションやねん」
 『ハハハ、別にええよ。セキカワさん言い負かしたんがよっぽど気分良かったんやろ。イズミ君曰く“神戸牛の親玉みたいなオバハン”なんやってな、セキカワさん』
 「…万が一、本人に会うことあっても、絶対内緒な?」
 『了解了解』
 「そんで、今日は何? 忍から電話が来るなんて、初めてやない?」
 イズミが記憶する限り、初めてだ。勿論、自分の知らない所で、舞に電話をしているのかもしれないが。
 「母ちゃんが嬉しそうにしてるから、ついにデートの誘いの電話でもしてきたかと思ったのに」
 『そんなんと違うよ。ホンマにイズミ君に電話してん。ほら―――正月に作ったグライダー。あれ、この前の日曜に直し終わったから。そのお知らせや』
 「えっ!」
 受話器を握るイズミの顔が、パッと明るくなった。

***

 今年の正月3日、忍は、模型飛行機のキットを抱えて、イズミのもとを訪れた。
 「どれがええか迷ってもうたわ。イズミ君、好きなん選んでええよ」
 ざっと10種類ほどのキットを並べられ、イズミは目を輝かせた。
 日頃、部活であるバスケに打ち込んでいるイズミだが、趣味は何かと訊かれたら“機械いじり”と答える。今時流行りじゃないと思うから、あまり表立っては口にしていない趣味だが、機械をいじったり細々した工作をするのが好きなのだ。
 でも、模型飛行機は生まれて初めてだった。勿論、プラスチック製のプラモデルなら組み立てたことがあるが、実際に空を飛ぶやつなんて、自分に作れるとは思っていなかった。でも、忍曰く、図工とか技術家庭の時間プラスアルファの感覚で、十分できるとのことだった。
 イズミが選んだのは、薄く長い翼を持つ、バルサ材という材木で出来た模型飛行機だった。忍の方は、前もって室内で飛ばすタイプのものを用意していたらしく、イズミに作り方を色々教える傍らで、黙々と自分の模型飛行機を組み立てていた。
 全ての部品が既に切り出されていたイズミに比べて、忍のインドアプレーンは、ただの木の棒を図面にあわせて自分でカットするという、面倒極まりないものだった。
 「やだ、忍さんもイズミも、模型作りに夢中なの? あたしも何かやらせてよ」
 手持ち無沙汰になってしまった舞が拗ねたので、忍が笑いながらその部品の切り出し作業を指示した。案外、筋は悪くなかったようで、舞は珍しい位に真剣な面持ちで部品を切り出していた。

 そんな風にして、新年の1日は過ぎて行き―――どう考えても忍の飛行機の方が数倍時間がかかりそうなシロモノだったにも関わらず、イズミがなんとか生まれて初めての飛行機を完成させた時、その横には、透明な大きな主翼を持った美しいグライダーが、きちんと完成して置かれていた。
 「これは、狭い部屋の中で飛ばすには、もうちょい調整が必要やねん。今度調整するから、ここで預かっといてや」
 と忍が言うので、その美しいグライダーが飛ぶ姿は、結局拝めなかった。
 その代わり、イズミが作ったアウトドア用のグライダーのテスト飛行は、その日のうちにできた。

 忍の運転するジープに乗って、3人で神戸港まで行った。
 こんな寒い時期から、芝生地帯で遊んでいる物好きなど、さすがに誰もいない。早くも日が傾いて薄暗くなった中、目一杯服を着込んだ舞と忍は、イズミがグライダーを放す瞬間を、並んで見守っていた。
 「風止まったら、チャンスやから。迷わず投げるんやで」
 「うん」
 バスケのフリースローの時だって、こんなに緊張するだろうか? という位、心臓がドキドキする。
 飛び方の調整を忍がしてくれた時、その投げ方を見てはいたが、バルサ材で出来た機体は想像以上に軽く、投げた勢いでポキンと折れてしまいそうにすら思える。不安を覚えながらも、イズミはえいっ、と掛け声をかけて、グライダーを斜め上へと力いっぱい投げた。
 白木のような色合いの機体は、空中に滑り出すと、一旦右に曲がった。そのままあらぬ方向へと飛んで行ってしまうのかと思いきや、途中でくるりと方向転換し、大きな円を描くように左旋回を始めた。
 「すごーい! 飛んでるじゃないの、ちゃんと!」
 よもや飛ぶとは思ってなかったらしい舞が、本当に驚いたような、興奮した声を上げた。やはり飛ぶ自信のなかったイズミは、声も出せずに、くるくると旋回しながら高度を下げていく自分の飛行機を、唖然とした顔で眺めた。
 「凄いやん、イズミ君。1作目から大成功やね」
 パチパチと拍手した忍は、芝生の上に滑り落ちてきたグライダーを拾い上げると、指を唾で湿して風向きを見た。
 「んー…、今日は、こっちやな」
 ぶつぶつと何かを呟くと、イズミがさっき投げたのとは微妙に違う方向にグライダーを向ける。
 「よう見ててや?」
 チラリとイズミや舞の方を見た忍は、そう言ってニッ、と笑うと、思いもよらないほどの勢いをつけて、グライダーを宙へと投げ飛ばした。

 グライダーが、天目指して飛んで行く。
 上空でカーブを描いた機体は、まるで何かの動力で動いてるみたいに、イズミが投げた時よりずっと大きな円を描きながら旋回した。
 自分が作ったものが、こんな風に、立派に空を飛ぶなんて。
 モーターもエンジンもなく、こんなに長い時間、空に留まっているなんて。
 幾重にも描かれていく空中の輪を、舞もイズミも、夢でも見てるみたいな目をして見上げた。たかが模型飛行機を手投げで飛ばしているだけ―――子供の遊びじゃないか、と、人は言うかもしれないが、2人にとってそれは、かなりのカルチャーショックだった。

 「な? 結構飛ぶやろ。インドアプレーンのふわーっとした癒し系な飛び方も好きやけど、これはこれで、いいストレス発散になんで」
 驚いている2人を見て満足したのか、忍はそう言って、子供みたいに屈託なく笑った。


 冬休み明け、イズミは勿論、この時のグライダーを学校に持って行った。
 休み中、何度も空き地や広場に行って練習を重ね、割り箸とゴムでカタパルトまで作った。忍よりはるかに背が低く、腕力もまだまだ敵わないイズミだが、カタパルトを使って飛ばせば同じ位は飛ばせるかも…と思ったのだ。
 恭四郎達を前にしての飛行実験は、見事、成功した。
 グライダーは、忍が飛ばしたのと同じ位の円を描き、学校の仲間は「おおおおっ」と感嘆の声を上げた。

 ただし、1回だけ。

 2回目―――是非僕にも飛ばさせてくれ、とねだる恭四郎に貸したところ、緊張して体に力を入れすぎた恭四郎は、グライダーを放す寸前、体のバランスを崩しまくり…転んだ。
 その結果、軽い代わりに脆さのあるバルサ材でできたグライダーの翼は、ものの見事に、修復不能なまでにバキバキに折れてしまったのだった。

***

 「ホンマに!? ホンマに直ったん!?」
 思わず、受話器を両手で握り締めてしまう。
 なにせ、友達の前で涙を見せてしまったのは、あれが初めてのことだったのだ。クールな恭四郎も、いつも笑顔のイズミが泣くのを見て、さすがにオロオロしていた。本当に済まなかった、と言って、ピザまんを2つも奢ってくれた程だ。
 『同じキットが売り切れてもーてたから、ハンズでバルサ材買ってきて、翼だけ作り直してん。ついでに、もうちょい調整しといたから、今度はもっと飛ぶようになってんで、きっと。今度の休みにでも持ってくわ』
 「あっ、そんなら、また飛ばして!」
 『雨やなかったらな』
 「うん! ありがとう、忍。オレ、本気で落ち込んでてん」
 『ハハハ。さよか。ま、こないなこと位ならなんぼでも。…あ、そうそう』
 忍の声色が、少し変わった。からかうような、笑いを含んだような声に。
 『聞いたで、イズミ君。日記つけ始めたんやてな』
 「えっ」
 イズミの手からタオルがバサリと落ちた。
 動揺してはいけない、と思うのに、まだまだそこまで修行は積めていない。慌てふためいたようにタオルを拾いつつも、出てきた答えはあっけないものだった。
 「だ、誰に聞いたん!? そんな話」
 ―――ああっ、しまったっ。そんな話知らん、で通せばよかったのにっ。
 後悔しても、もう遅い。受話器の向こうから、余計楽しげな声が聞こえてきた。
 『昨日、チャットでハルとライから聞いてん。なんや、イズミ君が日記つけるって宣言しとったって。情けない姿見せると、全部日記に書かれんで、って2人に脅かされたわ。あはははは…』
 ―――兄ちゃんだけやなく、姉ちゃんもかい…。
 ハル、とは、イズミの言う“兄ちゃん”のこと。ライ、とは、イズミの言う“姉ちゃん”のことである。どちらも、忍のチャット仲間なのだから、こういう展開があっても不思議ではなかった。宣言する相手を誤ったな、と、イズミは心の中で反省した。
 「…あ…あの、忍、母ちゃんにはこのこと、内緒にして…」
 『ん? ええけど…なんで?』
 「そんなん知ったら、あの母ちゃんのことやから、絶対探し出して読むに決まってるやんっ。絶対あかん。誰にも読まれたないねんから」
 『あー、確かに、面白がって読みそうやねぇ…。ええよ。舞さんには黙っとくわ』
 「…言っとくけど、忍にも見せへんからな?」
 『ええー!?』
 「って読みたいんかいっ」
 『わははははは、冗談やって。人の日記に興味持つほど、覗き見根性はないわ』
 ―――念のため、鍵かかる引き出しに入れとこ…。
 冷や汗をかきながら、イズミはそう決心するのだった。


***


 1月31日(水)

 忍から電話があった。
 母ちゃんが取って、セキカワさんのことを楽しそうに話していた。最近、外見がどんどん若返ってる母ちゃんだが、頭の中身も10代にタイムスリップしているらしい。オレあての電話やっちゅうねん。
 恭四郎がボコベコにしたグライダーを、もう直してくれたらしい。改めて、忍の器用さにびっくりした。プログラマーなんてやめて、模型職人になった方がいいんじゃないだろか。
 今度の休みに持って来てくれるって言ってた。ついでに、また、忍がグライダー飛ばすとこを見せてくれるらしい。メチャクチャ楽しみだ。

 あの日、グライダーを投げる忍を見て、少しだけ―――ほんの少しだけカッコイイ、と、初めて思った。
 大の大人が、マジになって模型飛行機飛ばしてるなんてカッコ悪い、と言う奴もいると思う。でも、大人ぶってカッコつける大人が多い中で、カッコつけずに笑える忍は、カッコイイと思う。
 銀髪を風になびかせて、サングラスをちょっとずらしてケラケラと楽しげに笑う忍は、大人でも子供でもないし、日本人でも外国人でもないように見えた。そういう、どこにも属してないように見えるところも、カッコイイと思う。

 オレの中で、一番カッコイイ男は、やっぱり今も兄ちゃんだ。
 けど、忍も悪くない。そこそこいい線いってる。
 さすが、オレが親友と認めただけのことはある。オレって目が高いなぁ。

 ところで、母ちゃんは忍のどこにホレたんだろう? いまだによく分からない。
 兄ちゃんにホレてた位だから、絶対面食いだと思ってたのに―――忍は…うーん、見苦しくはないけど、普通レベル?
 中身にホレたんだろうな、とは思うけど、外見アウトなら恋愛にまではいかないよなぁ。てことは、どっか母ちゃんのツボにはまってる部分があるんだろか。今度その辺、さりげなく聞いてみよう。

 <近いうちの行動計画>
 ・母ちゃんに忍のどの辺が好きなのか聞いてみる
 ・ついでに、忍にも同じことを聞いてみる(忍の言う“好き”は、母ちゃんとはちょっと違う気するけど)
 ・忍の髪の毛が溶けてないか確認する(恭四郎に忍の銀髪の話したら、絶対髪が溶けてる筈だと言われたから)

 こういう予定も書き込める。やっぱり日記はいいなぁ。
 よし、絶対に書き続けてやるっ。せめて、忍と母ちゃんが「友達以上、恋人未満」から「恋人」になるまでは。でないと、「観察日記」の意味ないもんな。


 【一口メモ】
  2組の女の子に告られた。
  黒髪ロングは姉ちゃんと同じでポイント高かった。でも、「リング」の貞子みたいな子だったので、怖くなって断った。
  …呪われたりしないかな。ちょっと、不安。


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