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ダウト―Liar, Liar! 2―

 

 ダウト【doubt】
 《疑う意》トランプゲームの一。各自が手持ちのカードを裏返しのまま番号順に出し合い、相手に不審のあるときは「ダウト」と声をかけて札を改める。それが偽札ならば出した人が、正しい番号順ならばダウトをかけた人が場札を全部引きとる。早く手札をなくせば勝ち。(大辞泉)

 


 「圭司らしくねーよなー」
 「だよなぁ。面白くないよな。ある意味面白いけど」
 「…勝手なことほざいてんじゃねぇよ」
 悪友どもの無責任な言葉に、圭司は目を吊り上げ、イライラと煙草に火をつけた。
 「だってなぁ。“あの”圭司が、戸川さんと一緒に、保育園児の迎えに行くなんてなぁ」
 なあ? と、面白くてしょうがないという目で同意を求める悪友A。
 「そうそう。しかも、その弟に全然懐かれなくて、むしろ目の敵にされてるなんて。あー、面白い」
 そう言って本当に腹を抱える悪友B。
 「でも、何より面白いのは、“あの”圭司が、1人の女と7ヶ月も続いてるって点だよなぁ」
 「“あの”って何度も言うんじゃねぇ!」
 本気で気分を害する圭司の傍らで、悪友ABは、余計面白そうにケラケラと笑う。全く―――よりによって、一番嫌な連中に、一番見られたくないシーンを見られてしまったものだ。


 季節は巡り、4月半ば。
 永峰圭司が、戸川麻美と付き合い始めて、ちょうど7ヶ月が経過していた。
 付き合い始めの頃、半期決算で忙しい両親の代わりに、麻美が年の離れた弟を保育園に迎えに行っていたのだが、この4月前半も、同じ状態に陥った。
 少しでも麻美といる時間を作りたい圭司と、何が何でも「美人で若いお姉さん」に迎えに来て欲しい弟の利害は、どう考えても一致しない。結果―――圭司は、不本意ながら、麻美と一緒に弟のお迎えに行く羽目になったのだ。
 たった4歳でも、男は男。弟は、圭司をあからさまに敵視している。「けーじの顔、コワイ。僕キライ」と、本人を前にして平気で口にする。正直、麻美の弟でなかったら、蹴りの一発もお見舞いしてやりたいところだ。
 でも、弟の面倒を見ている時の麻美を見るのは、嫌いじゃない。
 “高嶺の花”なんて言われるほど、日頃全く隙がなく、常にきりっと孤高の美女ぶりを発揮している麻美だが、弟の手を引いてやり、その日あったことを優しい顔で聞いてあげている姿は、“母性”という単語を実感させる柔らかなムードで一杯だ。2人きりでいる時の、普段とは違う可愛い顔にも参っていたが、新しく見つけた麻美の表情に、圭司はまた参ってしまった。だから、この見るからに自分らしくない“2人でお迎え”は、そんなに苦痛な日課でもなかった。

 しかし、昨日。
 3人で仲良く(というほどでもないが)保育園から麻美の家まで歩いているところを、偶然、悪友ABに目撃されてしまったのが、運の尽き。
 今朝、大学で顔を合わせてからこのかた、“あの”圭司が、を連発され、信じらんねー、も連発され、それはもう好き放題にからかわれているのだ。


 「でもよぉ、圭司。“あの”って言いたくなるぜ、お前の変貌ぶり」
 「そうだよ。すっかりコンパからも遠のいちまってさ」
 不機嫌な圭司に、悪友ABは更に言い募る。
 確かに、去年の夏までの圭司は、“あの”を連発されるのも仕方ない人間だった。
 女、イコール、ハンティングの獲物。そういう感覚で、コンパに参加しては適当な女をお持ち帰り、ということを、一切の罪悪感なく繰り返していた。そういうことが出来るだけのルックスを持っている上、そういうことをしても後腐れない女にばかりモテていたから。
 その圭司が、麻美と付き合ってからは、自分でも信じられないほどの“麻美一筋”ぶりだ。
 他の女に興味がないから、というのが最大の理由だが、それ以外にも理由がある。実は…圭司は、いつか麻美に捨てられるんじゃないか、という、これまでの圭司からは考えられないような不安を、常に抱いているのだ。
 麻美は、圭司がコンパに行ってもあまり気にする素振りもないし、嫉妬心を煽ってやりたくて圭司が言う言葉にも、多少不愉快そうな顔はしても、概ね涼しい顔をしている。圭司の方など、弟を迎えに行くのを「他の男でもいるのかよ」と疑うほど、麻美が少しでもそっけない態度を取ると、あっという間に猜疑心に駆られてしまうというのに。
 そういう麻美だから、圭司がちょっとでもよそ見しようものなら、あっさり圭司から離れて行ってしまうような気がして、気が抜けない。他の女に目を向けてる暇など、圭司にはないのだ。
 でも、そういう本音は、絶対に表面には出せない圭司である。
 「遊びに興味なくした訳じゃねーけど、1人キープしながら遊ぶのは、結構面倒ごとが多いからな。俺は何より、面倒ごとがキライなんだよ」
 という説明で押し通す。
 しかし、悪友どもは、容赦なかった。
 「けど、アレだね。あんまり戸川さんに主導権握られっぱなしってのも、どうかと思うけどねぇ」
 ため息混じりの悪友Bの言葉に、圭司の眉がピクリと動いた。
 「…誰が主導権握られてるって?」
 「握られてるじゃん、思いっきり。自覚ないわけ?」
 「握られてねぇよっ」
 「ま、いいけど。でもねぇ…なーんか、今のお前ら見てると、お前ばっか夢中で、戸川さんの方はどうなのよ、って感じするけど?」
 悪友Bの恐ろしい発言に、悪友Aも大きく頷く。
 「元々クールビューティーだもんな、戸川さんは。圭司がコンパ三昧してた時だって、涼しい顔だったじゃん。それって結局、お前が男としてなめられてる、ってことなんじゃない?」
 「……」
 それは―――ちょっと、否定できない部分がある。

 昔の圭司ならいざ知らず、今の圭司は、麻美と付き合いながら他の女と浮気をする気なんて、これっぽっちもない。それは事実だ。けれど―――麻美がそれを確信して、安心しきっているのだとしたら…ちょっと、悔しい。
 圭司もモテるが、麻美もモテる。圭司の後釜を狙っている輩など、掃いて捨てるほどいるのだ。圭司は、そういう奴らと麻美が親しそうにしているだけで、毎回、はらわたが煮えくり返るような思いをしている。そして、やきもきする―――特に相手が、自分とは正反対な、真面目で誠実そうな外見の男だと。
 そう。ああいうタイプの方が、本当は麻美とお似合いなのだ―――そう思っている自分がいるから、常に落ち着かない。だからつい、ただ立ち話をしてただけのことで、嫉妬したような顔を麻美と相手に向けてしまう。そのたびに麻美は「やあね、圭司ってばこの位で」と可笑しそうに笑うのだが、ああいう圭司の態度が麻美を安心させているのかもしれない。
 一方の圭司はといえば、最初の頃こそ、麻美の気をひこうと色々やっていたが、最近では、変な輩が横から割り込まないよう、常に麻美にくっついて、目を光らせている。コンパなんて、もう3ヶ月もご無沙汰だ。圭司がいないのを幸いに、誰が麻美を誘うか分からないから。
 …確かに、なめられても仕方ないかもしれない。この有様は。

 「な? そう思うだろ? 女にかしづかれるのに慣れてる圭司が、このままでいいのかよ、って」
 圭司の複雑な表情に、悪友ABは気を良くして、余計悪知恵を吹き込んでくる。
 「そう考えると、ちょっといい機会なんじゃない?」
 「何が」
 「米倉さんのことだよ」
 米倉。
 それは、2年になってから、ずっと圭司に言い寄っている女の名前だった。
 麻美という彼女がいるにもかかわらず、米倉はそれを問題にせず、果敢にアタックを繰り返している。よほど自分に自信があるのだろう。事実、麻美とは全くタイプが違うが、米倉も美人でセクシーだ。昔の圭司なら、喜んで相手をしてやるようなタイプだが―――今はそんな気もないので、適当にあしらってきている。
 「まさか…米倉の誘いの乗れ、とでも言うんじゃねーだろーな」
 「ぴんぽーん」
 「あ、勿論、乗ってるフリだけね、フリだけ」
 「アホかっ! お前ら」
 こめかみに血管を浮かせて詰め寄る圭司に、悪友2人は、慌てて体をのけぞらせた。
 「い、いやいや、そう難しく考えることでもないじゃん?」
 「そうだよ。映画行ったり食事行ったり位なら、別に騒ぐことでもないだろ? そりゃ、気が合うんなら、本当に浮気しちゃうのも手だけど」
 「ま、なんにせよ、戸川さんに疑いを抱かせて、嫉妬させればいいんだよ」
 「そうそう」


 普通の男なら、こんなバカな煽りを、真に受けたりはしない。
 けれど、あいにくと、圭司は人一倍自信過剰でありながら、人一倍嫉妬深い男だった。そして、麻美に関しては、自分でも嫌になるほど疑り深い男でもあった。
 ―――それも、ありかもしんねぇ…。
 悪友のバカ話に、圭司がちょっとだけそう思ってしまったのは、必然だ。しかし。

 『なあ、お前、どうなると思う?』
 『戸川さんが本気にしないで、結局圭司が余計奴隷化して終わりに、1000円』
 『けど、米倉ってすっげーいい女じゃん。それに圭司には、あの女の方がお似合いだぜ? 圭司が米倉に落とされて戸川さんと別れるに、2000円』
 『お前、戸川さんがフリーになっても、抜け駆けするなよ』
 『お前こそ』

 実はその裏で、悪友2名がこんな内緒話をしていたことに、自分のことで精一杯な圭司は、全く気づいていないのだった。

***

 いつもの待ち合わせ場所に行くと、既に麻美が、そこに佇んで圭司を待っていた。
 「麻美」
 声をかけると、手にしていた文庫本から目を上げ、圭司の顔を確認してニコリと笑った。見慣れたとはいえ―――何ヶ月経っても、やはり魅力の塊としか言いようがない笑みだ。
 「悪かったな。講義がちょっと長引いて―――待たせたか?」
 「ううん、平気よ。ちょうどキリのいいとこまで読めたわ」
 「じゃ、行くか」
 そう言って、2人揃って歩き出したところに。
 「なーがみね君っ」
 背後からかけられた、妙に甘ったるい声に、圭司の背中がギクリと凍った。圭司の腕に手を掛けた麻美の表情も、一瞬曇る。
 振り向くと、そこには、問題の女―――米倉の、自信満々な笑みがあった。
 際どい丈のミニスカートに、大きすぎる胸が収まりきってないような、あまりにも小さなノースリーブTシャツ―――お前、まだ4月だぞ、と指摘したくなるような、露出部分の多すぎる服装だ。そういう服装も、シンプルなTシャツにGパンの麻美とは対照的だし、露出された小麦色の肌も、麻美の白い肌とは対照的だった。
 「今、帰り? お疲れ様」
 「…おう」
 気まずそうに短く返す圭司に、米倉はふふふっ、と笑い、チラリと麻美の方を見た。その目は、挑発するようでもあるし、勝ち誇っているようでもあるが、口では何も言わず、すぐに圭司に視線を戻してしまった。
 「じゃ、永峰君。明日ね」
 米倉はそう言うと、2人の前をすり抜け、先に大学の正門を抜けていった。すれ違いざま、圭司にだけ分かるようにウインクしたのだが、圭司はそれに吐き気さえ覚えた。
 ―――冗談じゃねーよ。思い上がんな、このバカ女。
 「いつになく余裕ありげね、あの人」
 歩き去った米倉の背中を見て、麻美がぽつりと呟いた。
 麻美も、米倉のことは知っている。なにせ、米倉本人が麻美に宣戦布告したのだから。“永峰君は、いずれアタシのものにするから”という、呆れるほどの直球を麻美に投げて、“あら、そう”という肩透かしを食った話は、同じ学部では有名な話だ。
 「自信持つようなことでもあったのかしら」
 「…ああ、それなら、明日のことだろ」
 圭司にだって、良心がある。チクチクと胸を刺す痛みを無視して、圭司は用意したとおりの言葉を口にした。
 「あいつ、あんまりしつこいからさ。明日の帰りに、ちょっと付き合ってやることにしたんだ」
 「明日?」
 麻美の目が、丸くなった。
 「明日って…私と映画行く約束、してなかった?」
 「ああ―――悪かったな。忘れてた」
 嘘である。自分の誕生日は忘れても、麻美との約束は絶対忘れない圭司なのだから。
 「ま、いいじゃん。映画はいつでも行けるんだし―――これでまた予定変更なんかすると、あの女、余計しつこく食い下がるだろ?」
 「…まあ…そうだけど」
 ちょっとガッカリしたような麻美の顔に、全部撤回したくなる。でも、ガッカリするという事は、少なくとも圭司が自分との約束より米倉との約束を優先したのを、面白くないと思っている証拠でもある。ノープロブレム、という態度を取られるよりはマシだろう。
 「でも…米倉さんて、圭司が好きそうなタイプよね」
 上目遣いに圭司を見上げた麻美は、拗ねたような声で、そんなことを言った。
 これはなかなか、好感触―――気を良くした圭司は、内心嬉々としているのは表に出さず、うんざりしたような顔を装った。
 「あのなぁ…お前、自分の彼氏が信用できない訳?」
 「……」
 「明日は、渋谷行って、あいつの買い物に付き合うだけ。ティーブレイク位はするかもしれねーけど、そんだけだから。信用しろよな」
 「…分かったわ」
 まだちょっと拗ねながらも、麻美はそう言い、最後にはにこっと笑った。
 「信じるわ。圭司は、私の彼氏だものね」

***

 翌日の米倉の服装は、昨日以上に過激だった。
 「…お前、南の島にでも買い物に行く気かよ」
 ホルターネックの、極めて布面積の狭いTシャツ姿の米倉を見て、圭司は呆れ果てた声を上げた。昨日のミニスカートでも十分際どかったのに、今日のミニは、歩くだけで下着が見えるんじゃねぇの、という位に短い。スタイルがいいので、辛うじてイタイ服装にはなっていないが、それでも、すれ違う連中が悉く振り返っているのが分かる。
 「当然じゃない。今日は永峰君誘惑モードだもの。邪魔者のいないうちに、精一杯色気振りまいておかないとね」
 そう言って米倉は、圭司の腕に図々しく腕を絡める。それにしても…午前中は、この格好で講義を受けたのだろうか? もの凄い神経だ。
 「…んで? 最初はどこ行くって?」
 「最初からホテルでもいいんだけど」
 間髪入れず、米倉の脱色しまくった頭に容赦ない一発をお見舞いする。「いったぁ〜い!」というオーバーな悲鳴に、また通り過ぎた通行人が振り返るのを感じた。
 「買い物って言っただろ。さっさと行こーぜ」
 「…もぉ、ノリ悪いなぁ。永峰君て、もっとノリのいい人だって聞いてたのに」
 「幻滅したか? 残念だったなぁ。俺には、そんな気もなければ、そんなとこ行く金もねーんだよ」
 「あ、お金なら大丈夫! アタシ、お得意様割引券持ってるから」
 自慢すんじゃねーよっ!
 隣の脳みそ空っぽ女を、今すぐその辺の風俗店にでも売り飛ばしたい衝動に駆られる。なんだってこんなのがうちの大学に入れたんだろう―――現代の七不思議の1つに入るほどの謎だ。
 「ねー、行かないの?」
 「行かねーよっ。ほら、さっさと案内しろよ。どうせ、そういうハダカ同然の服をまた買うんだろ。試着ショーでも見せて楽しませろよ」
 そんな試着ショーも見たいとは思わないが―――これも、計画のうちだ。どうせこの女は、ただ試着を見せただけのことを、麻美には尾ひれをつけて話すだろう。そういう計算があってこそ、こんな馬鹿げた買い物にも付き合おうとしているのだ。
 米倉の方も、試着ショーで圭司を誘惑するという案が、瞬時に浮かんだらしい。頭は空っぽでも、そういう知恵だけは働くのがこういう女の特徴だ。急に機嫌の良くなった米倉は、これまでより一層圭司の腕に強くしがみついて、妙に軽やかな足取りで歩き出した。

 

 結局、連れて行かれたのは、服ではなく水着の試着コーナーだった。
 「ねーえ、これなんか、どぉ?」
 「……」
 試着室から出てきた米倉をチラリと見て、圭司はため息をついた。
 試着はこれで3回目だが、着替えるたびに、どんどん布地面積が減っていってる気がする。そのうち、オールヌードで出てくるんじゃなかろうか。
 「ああ、いいんじゃねーのー」
 「…何、その返事ぃ。やる気なさそー」
 「やる気ないですからー」
 「うっそー、信じらんなーい、白のハイレグ上下でその気にならないなんて」
 ―――麻美が着てるんなら、その気にもなるけどよ。
 大胆な白のビキニを着た麻美を想像すると、それだけで顔がにやけてきてしまう。が、残念ながら、米倉の同じ格好には、何も感じない。恐らく、世間一般的な色気からすれば、こっちが上なのだろうが。
 「米倉の場合、日頃から布が少ないからな。多少出てても、またか、って思うだけなんじゃねーの」
 「ひっどーい! よーし、見てなさいよっ。次ので絶対悩殺してやる。今度こそ勝負だからねっ」
 ―――なんちゅう勝負やってんだよ、こいつは。
 悩殺勝負なんて、聞いたこともない。呆れつつも、圭司は「はいはいどうぞ」と手振りで答えた。

 米倉が試着室の中に消えると、途端に、また退屈になった。
 水着売り場なんて、何もやることがない。それは圭司だけではなく、付き合わされる世の男性全員がそうらしく、試着コーナーの傍には他の売り場には見られない立派な椅子が何脚か置かれている。圭司は、その1つに腰をおろし、はーっとため息をついた。
 一体、あと何着、試着する気なんだろう―――うんざりして、膝の上で頬杖をついた圭司だったが。
 次の瞬間。
 信じられないものを見つけて、思わず声を上げそうになった。

 水着コーナーの、一番端。
 1組のカップルが、マネキンが着ている水着を見て、仲睦まじい様子で何やら話をしている。
 そのカップルの女性の方は、どう見ても―――…。

 ―――…あ…麻美……!?

 間違いない。見間違える訳がない。それに、服装にも見覚えがある。今朝の1コマ目が同じ講義で、その時に麻美の今日の服装を見ているのだから。
 男の方には、見覚えがなかった。
 いくつ位なのだろう? 少なくとも、学生ではないだろう。大人の男といったムードが漂ってはいるが、まだ30代前半といった年齢に圭司の目には映った。横顔なのではっきりしたことは言えないが、真面目で誠実そうながらも、結構整った顔のようだ。
 唖然呆然状態の圭司には気づかず、麻美と見知らぬ男は、水着の値札などを見て、笑顔で話をしていた。男が何かからかうような事を言ったのか、麻美は照れたような顔をして、男の腕を叩いたりしている。
 そして、圭司の視線に気づいたのか―――麻美だけが、圭司の方に、唐突に目を向けた。
 「―――…っ」
 呆然としすぎて、姿を隠す暇などなかった。圭司は、唖然とした顔のまま、麻美と目を合わせる羽目になった。
 麻美は、圭司の姿を見つけると、一瞬驚いたように目を見開いた。
 圭司が手に持っている女物のバッグと、カーテンが閉まったままの試着室とを目だけで往復すると、大体の現状を察したらしい。大変ね、とでも言いたげにクスッと笑うと、男には気づかれないよう、肩に掛けたバッグの下で小さく手を振ってみせた。

 ―――な…なんだよ、その反応はっ!
 自分の彼氏が、米倉みたいな女の水着の試着に付き合ってるんだぞ。ちょっと位、気を揉むとかねーのかよっ。

 ショックに声が出なくなっている圭司をよそに、事態は進む。
 男がポン、と麻美の肩を叩くと、何事かを麻美に囁いた。それを聞いた麻美は、軽く首を振ると、二言三言、男に返した。そして―――水着コーナーには興味をなくしたのか、2人揃ってその場を立ち去ってしまったのだ。
 ―――冗談じゃねーよ、見失ってたまるか。
 ガタン、と音を立てて立ち上がった圭司は、即座に2人を追おうとした。が、その段になって、米倉に預けられていた荷物の存在を思い出した。
 背後の試着室を振り返る。
 円筒形をしている試着室は、天井がない。
 「ねーえ、永峰くーん」
 そろそろ次の水着が着終わるのか、米倉が圭司を呼んだ。が、そんなものに係わってる暇は、もう圭司にはない。圭司は、手にしていた重たそうなバッグを、試着室の上部から中へと投げ込んだ。
 多分、バッグがどこかを直撃したのだろう。米倉のヒステリックな悲鳴が、直後上がった。
 「悪い、俺、急用できたから帰るわ!」
 その悲鳴を完全に無視して、圭司はそう米倉に叫び、急いであの2人を追った。

***

 見失うかと思われた2人は、すぐに見つかった。同じ階にあるファッションブランドで、服を吟味していたのだ。
 2人には見つからないよう、マネキンやハンガーラックの陰に身を潜ませた圭司は、バクバクとうるさい心臓を宥めながら、じっと2人の様子を観察し続けた。
 ―――畜生…誰だよ、あの男。
 見れば見るほど、圭司がコンプレックスを抱きやすいタイプの男だ。落ち着いていて、性格が良さそうで、顔も二枚目で―――いい意味での少年ぽさと、ワイルドなセクシーさが女性にウケる圭司とは、まるで正反対だ。
 そして、そういう、自分と正反対な男は、嫌になるほど麻美に似合っていた。

 まさか。
 まさか、麻美に限って。
 そう思うものの、心臓は大人しくならない。
 麻美がいつも、圭司が何をしても比較的平然とした顔をしているのは、傍にああいう男がいるからなのだろうか? コンパに行こうが、他の女とのデートに応じようが、そりゃ面白くはないが、それで仲が壊れるならそれまでのこと、とでも思ってるのだろうか? あの男がいるから―――別に、圭司と別れても構わない、と。
 いや、まさか。
 いくらなんでもあり得ない。
 あり得ない、のに―――その疑いが、どうしても晴れてくれない。

 イライラとしながらの尾行は、その後も続いた。
 水着コーナーの次に入った店では、結局2人とも何も買わず、すぐに出てしまった。次の店も、その次の店も、色々と手に取ってはみるものの、試着することもなく、残念そうな顔で出てきてしまう。が、手にするのが全て女性モノであることから、恐らくは麻美の服を選んでいるのだろうと思われた。
 結局、4軒目の店で初めて、麻美は1枚のワンピースを選び、試着した。
 普段、麻美が着ることのない、イエロー・オレンジ系統のワンピース。あまり似合っているとも思えないが、男の方は満足そうだった。すぐに店員を呼び、その服を買い上げた。
 ―――センスねぇなあ…。麻美には黄色系は似合わねーんだよっ。そんなことも分からねーで、麻美の買い物に付き合ってんのかよ、あの男。
 ちょっとだけ、優越感を覚える。けれど、麻美が男に向ける晴れやかな笑顔を見たら、その優越感も大した慰めにはならなかった。

 どうやら、そのワンピースが、今日のショッピングの目的だったらしい。その後2人は、他の店には見向きもせず、ファッションビルを後にした。
 渋谷駅と向かいながら、2人はずっと、何かを楽しそうに話している。主に男が話をしていて、それを聞いて麻美が笑っているような感じだ。
 ―――あいつ…あんなに無邪気な笑い方もするんだな。
 それは、圭司もあまり見たことのない、麻美の笑顔だった。“高嶺の花”と言われる、学内で見せる麻美の笑顔とも、圭司と2人きりの時に見せる、艶やかで微かに色香を帯びた笑顔とも、全く違う―――まるで、子供みたいな笑顔。
 何者だよ、あの男―――疑念と嫉妬が、余計、つのった。

***

 つかず離れず、2人の尾行を続けていた圭司は、嫌な予感に、さっきから背中がむずむずしていた。
 麻美と男は、なんと弟の保育園に向かっていたのだ。
 ただ煩わしい場所にすぎなかった保育園も、こうして他の男と一緒に行かれると、なんだか自分の居場所をのっとられたような焦燥感を覚える。第一、麻美は、いわゆる“恥かきっ子”である年の離れすぎた弟の存在を、あまり人には話したがらない。圭司にすら、最初は伏せていたほどだ。なのに、その弟が通う保育園に一緒に行くなんて―――よほど心を許した相手だとしか思えない。
 案の定、2人は弟のお迎えに行ったようだ。保育園から少し離れた所で見張っていたら、暫くして、弟を伴った麻美が出てきた。
 保育園の外で待っていた男は、どうやら弟とも顔見知りらしい。あの憎たらしい弟が、嬉しそうな顔で男に飛びついた。
 ―――面白くねぇ。
 もの凄く、面白くない。
 仲睦まじい親子よろしく、3人で家路につく麻美と男、そして弟を眺めて、圭司は余計イライラした。大体、麻美の両親の決算処理だって、この前やっと終わった筈だ。もう弟の迎えに行く必要はない筈なのに――― 一体、どういうことなのだろう?


 やがて3人は、麻美の自宅に到着した。
 まだ両親は戻っていない時間だろう。麻美が、玄関の鍵を開けているのが見えた。
 ―――おいおいおい、そいつ、家の中にも入るのかよっ。
 もう、我慢できなかった。圭司は、拳をぎゅっと固めると、思い切って玄関先へと駆け寄った。
 「麻美っ!!」
 圭司が声を張り上げると、3人が一斉に、驚いたように振り返った。怒りに拳を震わせて仁王立ちする圭司を見つけて、真っ先に声を上げたのは、何故か弟だった。
 「あー、けーじだー。何してるのぉ? おゆうぎ?」
 これがお遊戯に見えるかよっ!
 どういう発想なんだか分からない弟の一言に、血管がぶち切れそうになる。が、麻美の前で弟にキレる訳にもいかず、拳に更に力を込めて堪えた。
 驚いた顔をしている麻美は、何故圭司がここにいるのか分からないらしく、
 「やだ、圭司? どうしたの?」
 と不思議そうに訊ねた。しかし、それに圭司が答えないと察すると、鍵を開けたばかりのドアを開き、例の男に目配せした。
 「何か、トラブルかい?」
 男が心配そうに言うが、麻美は薄く微笑み、首を小さく振った。首を突っ込むべきシーンではないと判断したらしく、男はそれ以上何も聞かずに、弟を連れて家の中へと消えた。

 「―――さてと」
 2人が家に入ったのを見届けた麻美は、両腰に手を当てると、圭司を軽く睨んだ。
 「一体どういうことなの、圭司? 米倉さんとデート中だったんでしょう?」
 「“どういうことだ”は、俺のセリフだろ!? なんだよ、あの男は!」
 「は?」
 「家にまで上げるような仲なのかよ、えっ!? どう見ても年上だよな、あいつ―――どういう関係なんだよ、弟まで懐いてるなんて!」
 キョトン、と目を丸くした麻美は、暫し、怒りに震えている圭司の顔をまじまじと凝視した。
 そして、彼が何をそんなに怒っているのかを理解すると―――恐ろしいほどに美しい笑い方をした。
 「…はーん、なるほどね」
 「な、なんだよ」
 「圭司ったら、私を疑う訳?」
 完璧なカーブを描いた眉が、片方だけ上がる。
 「ま、疑うのも無理ないわよねぇ。圭司自身が、私との映画を差し置いても、米倉さんの水着姿拝む方を優先したんだから」
 「そ…っ、それは! おい、誤解すんなよ!? 米倉のことは俺、これっぽっちも」
 「なんとも思ってないのに、私との映画の約束をさっぱり忘れた訳?」
 「だから、それは」
 「映画なんかいつでも見れるけど、米倉さんの水着姿は滅多に拝めないから、そっち優先だったんじゃない? そうよねぇ…圭司には、私と見るラブロマンス映画より、米倉さんの水着姿の方が魅力的よねぇ」
 「…だから…それは…」
 ―――お前を悔しがらせたくて、わざと約束のある日にしただけで…。
 という真実は、とてもじゃないが、今更言えない。麻美を嫉妬させたくて、わざと米倉の誘いに応じた、なんて、あまりにも情けなさすぎる話だ。
 「…言っとくが、米倉の水着姿なんて、見せられても嬉しくも楽しくもねーからなっ」
 「あら、そう」
 「映画の約束フイにしたのは、マジで謝る。でも! だからって、これはあんまりだろ、お前! 俺が米倉としたくもねーデートしたのだって、しつこい米倉追い払うためだったのに―――お前は、そんな俺を完全無視で、誰だか知らねー男と楽しくウィンドウ・ショッピングかよ!」
 「…全く…そんな風に疑われるなんて、心外だわ」
 やれやれ、と肩を竦めた麻美は、大きなため息をつくと、キッ、と圭司を睨んだ。
 「いい? 圭司。あの人はね、私の叔父さんなの」

 瞬間。
 沸騰しきっていた圭司の頭が、いきなり真っ白に凍った。

 「……おじさん?」
 「そう」
 「って、親の兄弟?」
 「そうよ。母の弟よ」
 「…えらく若い弟だな、おい」
 「ああ、若く見えるのよね、叔父さんて。でも、ああ見えて今年43よ」
 「よんじゅうさん!!!!??」
 ―――見えねーよっ!!!
 絶対、見えない。せいぜい32、3だ。ラフな服装だったせいもあるが、髪型も顔立ちも、40をとっく超えてるなんて、絶対にありえない。
 「いつまでも歳とらないから、貫禄なくって…本人も気にしてるもの」
 「マジかよ…」
 「そうよ。で、今日は、叔父さんの娘―――つまり、私の従姉妹の誕生日プレゼントを選びに行ったの。何買っていいか分からないから一緒に選んでくれ、って前から頼まれてたんだけど…圭司との約束がキャンセルになったし、ちょうど叔父さん、お休みだったし」
 「…って…、え、まさか…」
 脳裏に蘇るのは、麻美が試着していた、あのイエロー・オレンジのワンピース。
 圭司が知る限り、2人の買い物は、あのワンピース1着だけだ。
 「まさか、その誕生日プレゼントって、お前が試着してた、アレか?」
 「やだ、そんなとこまで見てたの?」
 呆れた顔をした麻美は、それでも、圭司が何を思って驚いているのかを察して、クスリと笑った。
 「そ。あれが従姉妹の誕生日プレゼント。あの叔父さんの娘、今度の日曜日に19歳になるのよ」
 「―――…」

 あの風貌で、43。
 しかも、今年19歳になる娘持ち―――…。

 頭がグラグラしてくる。嘘だろ、という言葉ばかりが、グルグルと頭の中を駆け巡る。
 でも、そう考えると、全て合点がいく。弟が懐いているのは、自分の叔父なんだから当然だし、家に上がるのも親族なんだから当然。麻美に試着させたのも、恐らくあの叔父の風貌からして、娘も麻美とよく似たタイプの姿だからだろう。改めて見てみれば、あの叔父と麻美は、顔かたちが非常に似ているのだから。

 つまり、自分は。
 まるで方向違いな疑いを麻美にかけて、勝手に嫉妬して、勝手に怒ってたという訳で。

 「わ…悪かった…」
 圭司の声が、一気にトーンダウンする。肩を落としたその姿は、体全体も、ひと回り小さくなってしまったかのようだ。
 そんな圭司の様子に満足げに微笑んだ麻美は、圭司の方へ一歩踏み出すと、その腕を圭司の背中にスルリと回した。
 「もう―――圭司ったら、意外と疑り深いのね? 自分に疑われるようなやましい部分のある人に限って、相手を疑ってかかるものだって言うわよ?」
 「そ、そんなことねーよっ」
 「ホント?」
 「本当だってっ。それに…そんなこと言う割に、お前、俺が何しようが、ほとんど嫉妬らしい嫉妬もしないじゃねーかっ」
 不貞腐れたように愚痴る圭司に、麻美はふふっと笑い、背伸びして、その唇に軽くキスをした。
 「バカね―――言ったでしょう? 私は信じてる、って。だって圭司は、私の彼氏なんだから」


***


 「さっきのが、例の麻美ちゃんの彼氏かい?」
 家に戻ってきた麻美に、叔父はにやにや笑いながら訊ねた。
 「そうよ。いい男でしょ」
 「男前だよなぁ。いかにもモテそうだ。うちの娘が最近熱を上げてる、何とか言う名前の俳優と似てるよ。麻美ちゃんがノロケるだけのことはあるなぁ」
 「ふふふっ、ありがと。あ、お茶淹れるわね。お母さんたち、帰ってくるまでまだ時間あるから」
 機嫌良く笑った麻美は、軽い足取りでキッチンに向かった。
 「あ、そういえば、麻美ちゃん」
 キッチンまでくっついてきた叔父は、さっそくお茶の準備を始めている麻美に、ちょっと不思議そうな顔をして訊ねた。
 「最初の予定じゃ、銀座のデパートで選ぶ予定だったのに、なんで今日になっていきなり渋谷にしたんだい?」

 突然の行き先変更は、麻美からの申し出だった。
 どうしても渋谷で選びたい、と言う麻美に、女の子のファッション事情など知らない叔父は、何も疑問を抱かずにOKと返事をした。が、改めて考えると、選んだ服は、デパートにもちゃんと出店しているような高級ブランドだ。何故渋谷にこだわったのか、よく考えると不思議だった。

 「あのファッションビルに、何かこだわりでもあったとか?」
 「―――んー…、秘密」
 「秘密、か」
 「そ。秘密よ」
 くすっ、と笑った麻美は、そう繰り返して、やかんに水を入れた。

 

 『明日は、渋谷行って、あいつの買い物に付き合うだけ。ティーブレイク位はするかもしれねーけど、そんだけだから。信用しろよな』

 ―――ええ、信用してるわよ、圭司。
 でもね。昔の圭司が圭司だっただけに、完全になんて信用できない。
 いつか、私に飽きて、他の女に目が向くんじゃないか。そんな風に不安になるのは、私も同じ。あなたが不安そうな顔するたびに、私は安心するの。ああ、あなたの気持ちは、まだ私のところにあるんだな、って思って。

 だから、わざと渋谷を選んだ。
 あなたの姿を目ざとく見つけて、わざと水着売り場で叔父さんと仲良さそうな姿を見せつけた。
 あなたが私に対してやろうとしたことを、私もあなたにしただけ。あなたを不安にさせて、嫉妬させて、米倉さんとのデートをすっぽかすように仕向けてやったのよ。

 これに懲りて、二度と私が嫉妬するような真似をしなければいい―――でないと、私の持ち駒だって、そんなに多い訳じゃないんだから。

 

 「…ね、叔父さん」
 やかんを火にかけた麻美は、背後のダイニングテーブルの席についた叔父を振り返り、意味深な笑みを見せた。
 「“ダウト”ってゲーム、知ってる?」
 「え? あ、ああ、知ってるけど?」
 「あのゲームって、嘘を見破られた人も札を取らなきゃいけないけど、嘘ついてない人を疑って“ダウト!”って叫んだ人も、札を取る羽目になるのよね」


 ねえ、圭司?
 誰だって、疑いの1つや2つは持ってるの。

 でも、疑ってることを顔に出した人は、ゲームに負けるのよ?


 “ダウト!”のコールと同時に、大量の手札を持たされることとなった圭司をちょっと気の毒に思いつつも、麻美は上機嫌に笑った。


240000番ゲットのnekonekoさんのリクエストにおこたえした1作です。
ご希望はずばり、「Liar, Liar!」の続編。まんまです(笑)
相変わらず怖いです、麻美さん。相変わらず学習能力が足りないです、圭司君。…この2人の関係って、ずっとこんな感じなんだろうなぁ。
もうこれ以上は続編無理です。多分、同じことの繰り返しになるから(笑)

関連するお話:「Liar, Liar!」


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