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One on One

 

 確かにその日のオレは、ちょっとイカれてたと思う。
 観客席の一番前に、憧れのあの人が座ってる事に気づいちゃったもんだから、いいとこ見せたいって思いばかりが先行して、肩に力が入りまくってた。
 北高の背番号3が、ドリブルしながらスゲー勢いで突進してくるのは見えた。そいつがジャンプするのを見て、ぜってーゴールさせるもんか、とジャンプしたのも覚えてる。
 次に目を開けた時。
 オレは、ゴールの真下の床に、仰向けにひっくり返っていた。


***


 「はぁ!? ドクター・ストップ!?」
 「当たり前だろ。骨にヒビ入ってんだぞ」
 監督に睨まれて、全身一気に脱力する。
 マジっすか…来月の試合、出れねーってことっすね…。
 三角巾で吊り下げられた右腕が憎たらしい。畜生、北高背番号3! ぶつかるなら、もっとクールなぶつかり方しろ!
 「相手の選手、右足骨折らしいぞ。井原はまだラッキーだったんだ。恨んだりするな」
 監督の一言に、一瞬盛り上がりかけた憎悪が、一気にしぼむ。北高背番号3は、再来月の試合も無理だな…。
 「初レギュラーで力が入るのも分かるけどな。井原、テンション上げすぎなんだよ。もっと落ち着け。相手が突進してきたからって熱くなってどうするんだ?」
 「…はぁ…すみません」
 言われる通りだ。オレはついつい熱くなる。喧嘩売られると絶対買っちゃうし、元旦にやる羽根つきでも負けると本気で怒り出すし、相手に「うおおおぉぉっ!」と勢いよく突っ込んでこられると、その理由がよくわかんなくても「やるかあああぁあ!」と受けてしまうのだ。
 更に二言三言、監督から励ましの言葉を貰ったオレは、誰もいなくなった教室でぼんやり黒板を眺めていた。
 「いはらー」
 教室の扉がガラリと開いて、妙な具合に目を細めた奴が顔を出す。
 「あ、いた。居残り?」
 「ちげーよ。さっきまで選手生命の危機について、監督とマジトークしてたんだ」
 「選手生命ってほどの命じゃないんじゃない」
 「…帰宅部に言われたくねー…」
 「帰るんなら、一緒に帰るか、久々に」
 そのセリフに、オレは嫌味ったらしく眉を顰めてみせた。
 「すずちゃんはいいのか、すずちゃんは」
 「人の彼女を“すずちゃん”なんて呼ばないでくれ。鈴木なら今日はもう帰った。俺は委員会で居残りだったから、遅くなったんだ」
 涼しい顔でそう言った森下は、右手に自分の鞄、左手にオレの鞄を持って、先に歩き出した。
 中学時代からの親友・森下は、最近彼女が出来て、すっかり付き合いが悪くなった。男の友情なんてこんなもんか、とシニカルに思ったオレだったが、森下がオレの怪我を気遣って荷物を持ってくれたので、一気に機嫌が良くなった。
 「けど、残念だったな、その怪我…。お前、小兵でレギュラー勝ち取ったから、クラスの連中みんなで応援してたのに」
 森下がオレの右腕に視線を落としてそう言った。
 「こひょう、って何?」
 「…体の小さい選手、って意味だよ。お前、もう少し勉強しろ。自分のことだろ」
 「だったら“体が小さいのに”って言えばいいのに…」
 確かにオレは、体が小さい。165センチでよくバスケなんてやってると思う。もっとも、この小柄さが試合では大いにメリットを生むんだけど―――大半の選手が180超えてる世界だから、オレのドリブルをカットするのは結構難しいのだ。
 高さで勝負は無理。だから、小さい体を生かしたスピードプレーで勝負。で、勝ち取った、初レギュラー。
 …だったのに。
 あー、畜生、思い出したら余計落ち込んできた。けど、落ち込んでる様を森下に見せるのも悔しいので、オレは努めて平気なふりをした。
 「あれ? なんだ、今日も来てるじゃないか、彼女」
 森下が、そう言って、オレの肩を指でつついた。森下の視線を追ったオレは、その先に憧れの人の姿を発見して、一気に落ち込みのどん底から浮上した。
 「―――曜子さんっ!」
 「あっ、おい!」
 森下そっちのけで、走り出す。曜子さんが、平日に顔出すなんて珍しい。こんなチャンスを逃す訳にはいかない。三角巾で吊った腕のせいで走り難いが、全力疾走だ。
 「よーこさーん!!!」
 オレが叫ぶと、校門のところで女子バスケ部のキャプテンと談笑していた曜子さんが、こちらを向いた。
 全然ブリーチしてない黒い髪を、気持ちがいい位のショートヘアーに整えた曜子さんが振り向くと、耳のピアスがキラリと光る。こういう瞬間、心臓がギリギリ引き絞られるような錯覚を覚える。森下に説明したが、鉄火面のあいつには理解できないらしく「心臓病なんじゃないか?」と冷たく言い放たれてしまった。
 「曜子さん!」
 「やー、井原。災難だったね」
 口の端を吊り上げて笑う曜子さんは、オレの腕に視線を向け、そう言った。
 「…すみません。せっかく曜子さんが見てくれてたのに、こんなドジ踏んで」
 「なんであたしに謝んの。変なやつ…。謝るなら、北高背番号3に謝った方がいいんじゃない。あれは選手生命の危機だよ」
 うぐぐ…。た、確かにそうかもしれない。
 「じゃっ、曜子先輩、お先に失礼します」
 「ん、お疲れ」
 女子バスケ部のキャプテンは、ペコリとお辞儀をして、去っていった。校門前には、オレと曜子さんと、追いついて来た森下の3人が取り残された。
 「おお、秀才君だ。相変わらず性格悪そうな顔してるね」
 2人分の鞄を持ってスタスタ歩いてくる森下を見て、曜子さんが楽しげに笑う。森下は、そんな彼女を冷たい目で一瞥し、
 「…曜子先輩も、相変わらず性格悪そうな顔してますね」
 と、白けた声で言い放った。曜子先輩と森下のお姉さんは、うちの高校のクラスメイトだったのだ。だから森下は曜子先輩と顔見知りだし、曜子先輩も森下をよく知っている。
 …ちょっと、悔しい。
 「帰るとこ? じゃ、3人で帰る?」
 「は、はいっ」
 嫌だよ、という顔をする森下の足を密かに蹴飛ばし、オレはちゃっかり曜子さんの隣をキープし、夕暮れの中、歩き出した。


***


 曜子さんに初めて会ったのは、中3の冬、高校受験でこの学校に来た時だ。
 当時からバスケ命だったオレは、受験の帰り、当たり前のように体育館へ足を運んだ。
 ちょうど男子バスケ部と女子バスケ部が、それぞれコートを分け合って練習している最中だった。オレよりはるかにデカい連中がシュートをどんどん決めるのを見て、オレは無意識のうちに武者震いしていた。
 そんな時だった。
 女子バスケ部の、かなり小柄な女の子が、シュートを何度も失敗して、仲間たちから注意を受けてるのを見たのは。
 その子は、多分160センチそこそこだと思う。手足も貧弱で、多分1年生だろうな、と技術面や身体面を見てオレは思った。周囲の連中がいろいろアドバイスして再チャレンジさせるも、彼女はどうしてもシュートを決める事ができず、半分泣きそうな顔になっていた。
 「あたし、駄目なんですっ! 背もちっちゃいしっ!」
 最終的には、そんな事を言ってわっと泣き崩れてしまったその子を見て、オレは無性に腹立たしかった。
 なんだよ、小さいからって。
 オレを見ろ。女子バスケの中のお前より、男子バスケの中のオレの方が、どう考えたって背が小さいぞ。それでも中学3年間、死に物狂いで頑張ったから、3年の1年間はレギュラーを通せたんだ。
 人間、根性だ。「あたし、駄目なんです」なんて甘ったれてる奴は、さっさと辞めろ。
 ムカムカしつつ、それでも事の行く末を眺めていると、オロオロする部員たちの間に、1人の女子生徒が割って入った。
 選手とは違い、上下ともトレーニングウェアを着ている。首にかけたストップウォッチから察するに、どうやらマネージャーらしい。背は、今泣き崩れている女の子よりは大きかったが、160センチ台前半から半ばといった程度だ。
 彼女は、ショートヘアーをさっと掻き上げると、床に放り出されていたバスケットボールを拾い上げ、何度かドリブルした。その音に気づき、泣いてた子も顔を上げる。
 位置的には、ほぼ3ポイントライン上。マネージャーらしき彼女は、泣いてた子の顔を一瞥すると、視線をゴールに向けた。
 とても柔らかなフォームで、手にしたバスケットボールを放つ。
 するとボールは、綺麗な円弧を描いて、ゴールへ吸い込まれていった。
 「―――…」
 か……っ…。
 かっこいいいいいーーーー!!!!!
 な、なんでなんで、なんであの人、マネージャーなんてやってるんだ!? 選手でいいじゃんかー! もったいねー! あんな綺麗なフォーム、社会人でもなかなかいないぞ。男子だってなかなかいない。うわー、うわー、なんで選手じゃないんだろう。
 受験の手ごたえがイマイチだったことも忘れて、オレは興奮しまくった。
 「井原! なんだよ、こんな所にいたのか」
 興奮状態のオレを見つけて、一緒に受験に来ていた森下が、呆れたような顔をした。
 そういえば、こいつのねーちゃん、この高校の3年生だった、と思い出し、オレは森下の学ランの袖をぐいぐい引っ張って、体育館の真ん中らへんを指差した。
 「ななななな、森下っ。あの人、あのトレーニングウェアの女の人、見覚えねぇ!?」
 森下は、胸ポケットから眼鏡を取り出し、その上何故か目を細めた。意味ないと思うのだが、昔からのこいつの変な癖だ。
 「―――あー…。知ってる知ってる。姉貴のクラスメイト。バスケ部のマネージャーだよ」
 「えっ、じゃあ、3年生?」
 「うん。結構仲いいみたいで、2、3回うちに遊びに来た事ある。上の名前は知らないけど、姉貴は“ようこ”って呼んでた」
 「よーこさん、かぁ…」
 平凡な名前が、途端に世界で一番素敵な名前に思えてくる。オレはほわわん、と浮かれた頭で、泣いてる後輩に何か指導しているよーこさんをうっとり眺めた。

 オレが入学した時、曜子さんは既に学校を卒業していた。うちの高校から徒歩圏内にある大学に進学したのだ。
 けれど、その後も女子バスケ部との交流は途絶えなかったらしく、試合の前後になると、ふらりと体育館にやってきては、談笑したりびしっと指導をしたりしていく。
 勿論、オレは、そんな彼女の姿を見つけると、ボールをほっぽり出してでも走っていって、声をかける。キャプテンから後で厳しくどやされるのだが、そんなのは構わない。曜子さんに、ちょっとでもオレのこと、覚えてもらわなくちゃ。
 「曜子さーーーん! お疲れ様でぇええぇすっ!」
 「…ああ、この前の少年。毎回毎回元気だな」
 マニッシュな服装の彼女は、なかなかオレの名前を覚えてくれない。最初の半年、オレは「少年」と呼ばれ続けた。でも、オレは挫けないのだ。
 半年後、彼女はオレを「井原」と呼んでくれるようになった。更に2ヶ月後、女子の試合だけじゃなく、オレが補欠でベンチ入りしてる試合を見に来てくれた。2年になってレギュラーの座を勝ち取った時には、「良かったな」と言ってチュッパチャプスを5本奢ってくれた。なんでチュッパなのかよく分からないが、「これ、うまいんだよね」という一言だけで十分。オレにとっては、どんな豪華な食事より、曜子さんから貰ったチュッパチャプスがうまく感じられた。

 オレの夢。
 いつの日か―――うん、できれば、この高校卒業する前に、曜子さんとこの体育館で、ワン・オン・ワンをすること。
 ニューヨークのスラム街なんかで、道端にゴール作って、子供たちがワン・オン・ワンやるのをテレビで見た事がある。小さな体の子供たちが、空中散歩するみたいにジャンプして、ボールを取り合う姿―――なんてカッコイイんだろう、とうっとりした。
 曜子さんと、あれがやってみたい。広いコートで2人きり、1つのボールを取り合って、1つのゴールを目指して、曜子さんと飽きるまで勝負してみたい。3点シュートを決めた彼女もカッコ良かったけれど、コートを走り回る彼女は、もっともっと素敵だと思う。

 公式試合でシュートを決められたら、申し込む。そう決めている。
 レギュラーになった今、そのチャンスは格段に増えた。主に「繋ぎ」的役割が多いオレだけど、3点シュートなら狙える。1日も早く、そのチャンスをものにして、曜子さんに勝負を挑むんだ。

 ―――そう、張り切っていたんだけどなー…。


***


 現実は、そう甘くないのだ。
 ひびが入った腕のせいで、オレは、バスケ部の練習も見学を余儀なくされた。
 2年といったら、高校3年間の中では、一番いい時期なのに。最初こそ笑顔で「ドンマイ」を繰り返してたオレだけど、さすがに1週間ぼーっと見学させられたままでは、フラストレーションがたまる一方だ。
 毎日毎日、イライラする日が続く。2週間目の半ばには、もう練習を見学に行く気合がなくなってきた。
 「井原」
 体育館の外で、サッカーボールを頭に乗っけてバランスを取ってたら、曜子さんに声をかけられた。
 「なんだ、サッカー部に転向か」
 「ちっ、違いますよっ。見学しててもつまらないから…」
 慌ててサッカーボールを地面に落とし、運動場に向かって蹴り飛ばした。サッカーボールは、見事なコースどりで、運動場の端っこに落ち、コロコロと転がっていく。
 「―――キミ、もしかしてサッカーの方が才能あるんじゃないの」
 「……」
 …今のオレには、結構キツい冗談だ。
 うな垂れたまま、何も返さないオレを見て、曜子さんも不思議に思ったようだった。
 「どうした? 井原らしくないね。いつもの元気はどこにいったんだ、コラ」
 「…すみません。今、オレ、超弱気なんです」
 「弱気? なんでまた」
 曜子さんが、そう言って眉を寄せる。
 「いや、なんていうか…レギュラー取って、よっしゃー、やったるぜ、と一番盛り上がってたところに、コレでしょ。ただ怪我しただけでも落ち込むのに、余計落差がキツくって―――練習を見学してると、どんどんイライラしちゃうから」
 「何を言ってる。あと2週間もすりゃ練習再開できるって言ってたじゃないか。治ればまた前の通りバスケができるんだから、ちょっと位我慢しろ」
 なんだか、少し怒ったような口調で言われる。ごもっともなんだけど、今のオレは、素直に聞く余裕がない。
 たかがあと2週間だ、頭では分かってるけど、体が焦る。1ヶ月休んでる間に勘が鈍るんじゃないか、ほかの奴らが上達して、オレがやっとの思いで勝ち取ったレギュラーの座を奪ってしまうんじゃないか、そんな事ばかり考えてしまう。
 「―――井原。焦るな」
 口を尖らせて黙ってるオレを見兼ねて、曜子さんは、オレの頭をガシガシと撫でてくれた。曜子さんの、ちょっと吊り上がり気味の目が、オレの目を真正面から見据える。
 「何をそんなに焦るんだろうね、この子は。…あんたのいい所は、レギュラーじゃなかった時も、もの凄く楽しそうにバスケやってるとこだったのに。レギュラー取った途端、その座を追われるのが怖いばっかで、治ってまたバスケをやるのを楽しみにする気持ちも無くなったみたいじゃない」
 「…だって…実際、怖いんですよ、レギュラー降ろされるのが」
 「いいじゃないか、補欠でも。何が不満? あんた、バスケが出来ればなんでもいい、って前に言ってたじゃないか」
 ますます口を尖らせてしまう。
 言うつもりなんてなかったけど、やっぱり気持ちが落ち込んでたせいだろう。オレはつい、本音を漏らしてしまった。
 「―――だって、レギュラー落ちたら、公式試合でシュート決めるチャンス、激減するっしょ」
 「…は?」
 それがどうした、という風に、曜子さんは眉をひそめた。
 「オレ、公式試合でシュート決めたら、曜子さんに勝負を挑もうって決めてたんです」
 「勝負?」
 「ワン・オン・ワンです」
 曜子さんの目が、くるん、と丸くなった。
 いつもクールな曜子さんが、そんな目をするのはこれが初めてで―――オレは、なんだか曜子さんが知らない人みたいに見えて、一瞬ドキッとした。なんか…いつもカッコイイ曜子さんが、ちょっと可愛く見えたりして。
 「ワン・オン・ワン…? あたしと?」
 「そーです。…って言っても、オレが勝手にそう決めてただけなんだけど」
 「…なんで?」
 不思議そうな顔をする曜子さんに、オレは、受験の日見た光景の事を話して聞かせた。―――あの綺麗な3点シュートに魅せられたこと、自分と同じく小柄な方なのにカッコイイ、と憧れたこと、コートを走り回る姿はもっともっとカッコイイだろう、と夢見ていること。
 曜子さんは、目を丸くしたまま、オレの話を聞いていた。その間、曜子さんの手は、ずっとオレの頭の上に乗せられていたので、オレは正直、心臓がドキドキしたままだった。やっぱり、憧れの人だからなぁ…。こういう姿勢は、結構ドギマギさせられる。

 「…ま、まぁ、そんな訳で、オレ、レギュラーになったら、是が非でもチャンスをものにして、3点シュートを決めてみせるぜっ! て燃えてたんです…。なのに、いきなりこれでしょ。なんか、一度落ち込んじゃうと、なかなか浮上できなくって…」
 最後にオレがそう締めくくると、曜子さんの顔が、苦しそうに歪んだ。
 どうしたんだろう? 不思議に思って、オレも眉をひそめる。
 「あ、あの―――曜子、さん?」
 曜子さんは、オレの頭の上に置いてた手を除けると、大きな溜め息をつき、顔を背けた。オレとほぼ同じ身長の曜子さんが、なんだか急に小さくなったように見える。
 「…そんなつもりだったとは、知らなかった」
 ポツリ、と呟いた声に、オレはどう返事していいかわからず、棒っきれにでもなったみたいに突っ立っていた。
 「―――あのね、井原」
 再びこちらを見た曜子さんの目は、少し悲しそうだった。
 「ごめん。その夢、叶えてやれない」
 「…えっ」
 「ワン・オン・ワン。できない」
 「―――な…なんで、ですか? そりゃオレ、今は全然実力不足だけど、いつかは」
 「違うんだよ」
 曜子さんは、苦しげに眉を寄せ、唇を噛んだ。そして、何かを決意したみたいにきつい目をすると、履いていたGパンの裾を、無理矢理たくしあげ始めた。
 「よ、曜子さんっ!?」
 「―――井原、見て」
 たくしあげられたGパンから、曜子さんのくるぶしから下が覗く。
 それを見て、オレは、自分の馬鹿さ加減に、頭を殴られたようなショックを受けた。

 曜子さんの右足の、くるぶしから足首にかけて―――明らかに大手術をしたと分かる、大きな傷痕が走っていたのだ。


***


 試合中の接触事故だったのだと、曜子さんは淡々と語った。
 やはり、この前のオレがそうだったように、小柄ながらレギュラーを勝ち取れて嬉しかった曜子さんは、その試合でちょっと無理をしすぎた。
 粉砕骨折の上、アキレス腱を断絶する大怪我―――曜子さんの選手生命は、それで絶たれてしまった。
 …当たり前だ。でなきゃ、あんな上手い人が、マネージャーでおさまってる訳がない。
 曜子さんは、シュートできる。ドリブルもできる。でも、走れないのだ。もうコート内を颯爽と走り回る曜子さんを見ることはできない。それでも、バスケが好きだから、マネージャーとして残ったのだと曜子さんは笑って言った。
 「あたしは別に、悲しくないよ。そりゃ、最初は辛かったけどね―――あたしは、バスケをするのも好きだけど、見るのも好きなんだ。今も、大学ではどの部にも所属してないけど、バスケの試合だけはちゃんと見に行ってる。綺麗だよね、バスケの動きって――――井原もそう思ってるよね。あんたがバスケの試合見てる時の目って、キラキラしてて、もう嬉しくてしょうがない、って感じだもの」
 ―――返す言葉が、出てこない。
 不覚にもオレは、曜子さんの前だというのに、泣いてしまった。
 腕を吊ってる三角巾の端っこで、ぐしぐしと涙を拭う。それでも涙は、次々溢れて止まらなかった。
 「ごめんなさい」―――オレは何故か、そう何度も口にしていた。

 ホントに、オレは、馬鹿だ。
 少し考えれば分かることだったのに、勝手に憧れて、勝手に夢見て、勝手に目標を決めて―――しかも、浮かれて怪我したこの腕は、あと半月で元通り戻るってのに、まるでこの世の終わりみたいに、落ち込んで。
 空回りしてる、オレの「一生懸命」。いっつもそうだ。
 曜子さん、ごめんなさい。
 嫌な思いさせて、傷痕まで見せさせて、治る傷の愚痴まで聞かせちゃって、本当にごめんなさい。

 泣きじゃくりながら、何度も何度も謝るオレの頭を、曜子さんはまた撫でてくれた。
 「―――井原。男なら、耐えろ。その怪我はすぐ治るんだから。ワン・オン・ワンはしてやれないけど、あんたの試合は必ず見に行ってやるよ。小さい体で頑張ってるあんた見てると、昔の自分見てるみたいで、なんか楽しいからさ」
 そんな慰めの言葉にも、オレは何故か、「ごめんなさい」で応えていた。


 オレの夢は、潰えた。
 でも、まあ、いい。曜子さんと勝負するためだけに、頑張ってた訳じゃない。

 それに―――新しい夢が、1つ、できたから。


***


 怪我は、当初の見立て通り、1ヶ月弱で治った。
 コートに復帰したオレは、それまで以上の熱心さで練習に打ち込んだ。曜子さんがたまに遊びに来ても、もうボールを投げ出して走っていったりはしない。手を振って合図はするけど、練習を優先する。
 試合が、近づいていた。レギュラーとなって2度目の試合が。
 もう、前のような無様な真似はできない。

 レギュラー2度目となる公式試合は、自分で言うのも何だが、なかなか活躍できたと思う。
 残念ながら、シュートを打つチャンスは3度ほどしか訪れなかった。しかも、長身の選手たちに阻まれて、安定した姿勢で打つことができず、放ったボールはいずれもリングの脇を掠めてコート外に落ちた。
 でも、小柄なこの体を生かして、低いドリブルで味方のオフェンスに繋げたり、相手の視界から外れたパスを通したりできた。多分、監督がオレを起用してくれたのは、こういう役割を果たすためだったんだと思う。だから、今回の試合は、満足できた。
 ―――でも、やっぱりシュートだよなぁ…。
 ロッカールームで着替えながら、はぁっと溜め息をつく。
 脳裏に浮かぶ、曜子さんの綺麗なフォーム。あれが頭から離れない限り、オレの目標は変わらない。これをクリアしないと、多分、最後の勇気が出ない。突進型のオレだけど、この分野だけは、超弱気だから。
 「おっす、井原」
 試合を見に来ていた森下が、ロッカールームに顔を出した。
 「お疲れ。大活躍だったな」
 「まー、そこそこには、って感じ?」
 「お。謙遜してる。井原らしくないぞ」
 怪しむような顔をする森下に、オレはあっかんべーをして見せた。着替え終わったユニフォームをスポーツバッグに詰め込み、荷物を肩に担ぐと、森下と一緒にロッカールームを後にした。
 「けど、シュートは決められなかったんだな」
 「う…お前、それを言うなよ。結構傷つくんだぞっ」
 「そう? 俺は、井原みたいなタイプは、別にシュート打たなくても十分役割果たしてるし、これでいいと思うんだけどな」
 何故そうシュートに拘るんだ、という風に怪訝そうな顔をする森下に、オレは曖昧な微笑で応えた。
 2人して、総合体育館の通用出口を抜ける。すると、視界に、見慣れた人の姿が飛び込んできた。
 「あ、曜子さ……」
 声をかけようとしたオレだったが、そこで、言葉を飲み込んでしまった。

 ―――あの…、そいつ、誰?

 曜子さんは、同級生らしき男と一緒にいて、なにやら楽しそうに話をしていた。
 相手の男は、やたらと背が高かった。190位あるんじゃないだろうか。でも、バスケの選手とは思えない。絶対部活動は何もしてないタイプだ。妙に整った顔立ちといい、イマドキの若者! って感じの服装といい、なんだかモデルみたいだ。

 ―――ま、まさか…彼氏!?
 いや、そんな噂、聞いたことないぞ…って、曜子さんの噂なんて一度も聞いた事ないけどっ。恋愛に限らずっ。
 あああああ、オレってば、よく考えたら曜子さんの私生活全然知らねーじゃんっ! 今更ながら気づいて、すんげー焦るっ!

 「あ、井原だ」
 森下の隣でフリーズするオレを見つけ、曜子さんがヒラヒラと手を振ってきた。
 つられるように、オレも手を振り返す。が、心がどっかに飛んじゃってるから、操り人形みたいな、妙な動きになってしまった。
 連れの男も、オレと森下の方を見た。なんだか、妙に愛想のいい男で、オレと森下をはるか頭上から見下ろし、ニコニコと笑顔を見せた。
 「あー、キミが井原君か。てことは、隣のキミが秀才君だね」
 「…森下です」
 曜子さんは、どうやら森下の名前をこの男には言ってないらしい。森下の眼鏡の下の目が、陰険に細められた。勿論、男ではなく、その隣に立つ曜子さんに、その目は向けられていた。
 「ヨーコに無理矢理引っ張ってこられたけど、いやー、凄かったな、試合。バスケの試合って、あんなに迫力あるんだ」
 男はそう言って、感心したように腕組みした。その言葉自体は悪い気はしないが、曜子さんを「ヨーコ」なんて呼び捨てにする事に、オレは滅茶苦茶苛立った。つい、森下そっくりの陰険な目つきをして、男を睨み上げてしまう。
 「井原君も大活躍だったじゃん。勝てたの、多分井原君の活躍のおかげだよ―――あっっっ!!!!」
 歯の浮くようなお世辞で褒めちぎってた男が、突然大声を上げた。
 男は、オレたちの背後に目を向け、それまでの5割り増しの笑みを浮かべた。
 「いたいたいたいたいた、律っちゃ〜〜〜〜〜〜ん!!!」
 「ほぇ?」
 キョトンとするオレと森下を無視して、男は猛ダッシュで、オレたちの横をすり抜けて走って行った。
 呆気にとられてその後姿を見送ると、男のダッシュしてった先に、どう見ても小学生位にしか見えない女の子が歩いていた。男が走ってきたのを見て、ギョッとしたように固まり、思わず後退っている。その顔を見て、ああ、小学生じゃないか、と慌てて訂正する。体が目茶目茶小さいが、薄くメイクしているその顔は、確かに曜子さんや男同様、大学生位らしい。
 「…なんですか、あの人」
 森下が、呆然とした声でそう呟くと、曜子さんは可笑しそうにくっくっと笑った。
 「ああ、あの小さい子が、あたしの大学の友達の、律。中ではぐれちゃって、今出てくるのを待ってたんだ。でもって、あの男は、律の高校時代からの…友達、なのかね、あれは。とにかく、律の腰ぎんちゃく」
 「こ、腰ぎんちゃく…」
 「―――というか、本当は、律狙い。気づいてないのは、律本人位じゃないのかな」
 律狙い?
 …てことは、あの電信柱みたいな男が、あの小学生みたいな女の子のことを狙ってる訳?
 オレは、もう一度背後を振り返った。律っちゃん狙いの男は、曜子さんに向けてたのとは明らかに違う種類の笑みを浮かべて、小学生レベルに小さな彼女に、何かを一生懸命話しかけていた。彼女の方はそれが迷惑らしく、無視してそのまま歩き出そうとしている。が、男がなれなれしく腕を掴んでいるので、そうもいかないようだ。
 ―――すげー…。オレより猪突猛進かもしれない。
 「曜子さんの彼氏じゃないんだ…」
 思わず安堵の声でそう言うと、曜子さんが素っ頓狂な声をあげた。
 「はぁ!? よしてよ、あいつが彼氏だなんて! そりゃ、大学ではバカみたいにモテてるけどね。律の傍で見てると、あいつの“律っちゃん命”度がまざまざとわかるから、2日も見てりゃお腹一杯。なんで律が気づかないのか、さすがのあたしも呆れるよ」
 確かに―――あの態度で気づかないとは、律さんは相当鈍い。鈍すぎる。

 …だけどさぁ…。
 曜子さんも、相当鈍い気がするなぁ。

 つい、溜め息混じりに、曜子さんを横目で見てしまう。


 オレの、次なる目標。
 公式戦でシュートを決めたら、曜子さんに交際を申し込むこと。
 コートの上でのワン・オン・ワンはもう実現不可能だけど―――恋愛だって、ある意味、ワン・オン・ワンだろ?


 「…オレ、次の試合では、ぜってーシュート決めますから」
 ニヤリ、と笑ってそう言うと、曜子さんは、一瞬キョトンとした目をした後、同じくニヤリ、と笑った。

 「まぁ、頑張りな、少年」

 ―――もしかして、バレてるのかも。
 まぁ、それもいい。
 オレと曜子さんの勝負は、まだ始まったばかりだ。


4444番ゲットのkikiさんのリクエストにおこたえした1作です。
ご希望は「男子高校生&元マネージャーのバスケもの」。…なんだか、妙に具体的なこのリク、もしやkikiさんご本人のエピソードなんじゃないの、と邪推してるんですが、どうでしょう。
でもって、内容ですが…。
ハハハハハ、いろんな連中が出てきましたねぇ。「忠犬とご主人様の恋愛事情」と「帰り道」が、これでくっつきました。
曜子は、「忠犬〜」に出てますが、お気づきでしょうか。曜子、拓人の「律ねらい」は知ってたけど、まさか律が落ちるとは思ってなかったみたいですね(笑)。
それにしても、井原ぁ〜。もうちょっと冷静になれ〜。熱すぎるぞ、キミは。
関連するお話:「忠犬とご主人様の恋愛事情」「帰り道」


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