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Wish -X'mas & Million Hit & 2nd Anniversary Thanks -
※注:「Step Beat COMPLEX」を未読の方は、意味不明だと思います。最低「COMPLEX」まで読了後に読むことをお勧めします。

 

 突然、エレベーターが止まった。

 周囲は、闇。停電らしい。
 今、1階から乗ったばかり。他にも1人、一緒に乗り込んだことには気づいていたけれど、自分のことしか考えていなかったので、相手の性別すらわからない始末。

 さて。

 どうしましょう?

 

 

 「えっ! な、な、な、な、何っ、て、停電っ!?」
 彼女の場合、“どうしましょう”の答えは、“パニックに陥りましょう”だった。
 「やだ、ちょっと、嘘でしょ、なんで!? 一体どうなってるのっ!?」
 と騒いでいたら、反対側の壁の方から、何やらカチャカチャとボタンを押すような音が聞こえた。そこでようやく、もう1人いることに気づいた。

 「……動きませんね」
 彼の場合、“どうしましょう”の答えは、“動くかどうか試しましょう”だった。
 階数ボタンや開閉ボタンの操作パネルが、彼の側にあったのだ。点灯も点滅もしていないボタン群を適当に押してみた時はすっかり忘れていたが、反対側からギャーギャー聞こえるわめき声で、そういえばもう1人いたっけな、と思い出した。

 「動かないって、どういうことよ」
 真っ暗闇から、声が飛ぶ。
 「停電してる、ってことでしょう。多分」
 真っ暗闇から、声が飛ぶ。
 「にしても、非常灯くらい点くものだけどな、普通…。まいったな。真っ暗だ」
 「真っ暗なのは、見ればわかるわよっ。連絡は? インターホンとかないの?」
 「よく見えないんですよ―――ああ、あった」
 ガチャガチャ。
 真っ暗闇で、暫し、見えない無機物との格闘が続く。が。
 「…駄目ですね」
 「駄目!?」
 「駄目です。何も聞こえない」
 「何のためのインターホンよ! 非常時のためにあるんでしょ、そういうのって!」
 「僕に言われても」
 「あなたに言ってないわよっ。このエレベーターの管理者に言ってるのよっ」
 「いませんしね、ここに」
 「もうっ……あ、そうよ、携帯」
 ここでやっと、それまでパニック専門だった彼女が、携帯電話という必殺アイテムを思い出した。暗闇の中、ガサガサガサ、という音が暫し続く。
 やがて、ぱかっ、と開いた携帯電話のバックライトで、彼女の手元だけが明るくなった。
 が、それはものの2秒ほどで、パチン、という音と共に辺りは真っ暗闇に戻った。
 「? どうしました」
 「…圏外だったのよ」
 「ああ…」
 「あなたの携帯は?」
 「…忘れているのに気づいて、会社に取りに戻るところだったんですよ」
 「……」
 「…まあ、一時的な停電なら、暫く待てば動くでしょう。少し様子を見ましょう」
 正直、彼女は、暗い所が苦手である。
 更に言うなら、狭くて不安定な場所も、苦手である。たとえば、そう、エレベーターみたいな。
 けれど、彼女は、人一倍プライドも高い。真っ暗で見えないとはいえ、自分以外の人間が目の前にいるのだ。取り乱した姿を何度も晒すなんて、耐え難い屈辱だ。
 「そ…そうね。とりあえず待ってみましょう」
 1秒でも早く脱出したい衝動をグッと抑え、理性を保った声でそう答えた。


 無言のまま、5分が経過した。


 「…まだかしら」
 真っ暗闇の静寂に耐え切れず、彼女の方が口を開く。
 彼の方もまた、この息苦しいような空気に、今にも窒息寸前だった。
 「…まだみたいですね」
 ため息まじりに、そう答えた。
 「…こういう、保守サービスとかセキュリティの会社とかって、どの位で来るものなのかしら」
 「さあ? どっちにしろ、5分じゃ無理でしょう」
 「せめて明るければいいのに…。ライター持ってます?」
 「…こんな密室で火を点けるのは、どうかと思いますよ」
 「……」
 「不安なら、携帯開いたらどうですか」
 「…すぐ消えちゃうし、電池の残りが少ないから、やめときます」


 更に、10分が経過した。


 「…あのー」
 「はい?」
 「ちょっと、そっち行っても、いいですか」
 「は?」
 「その、インターホン、私も試してみますから」
 なんだ、自分が試しただけでは納得がいかないのか、と、彼は少々ムッとする。が、ただじっと待っているだけというのも結構辛いものがある。危険なことでないなら、やれることは試して損はないだろう。
 「…どうぞ」
 真っ暗闇の中、空気が僅かに動く。
 手探り状態の彼女は、エレベーターのドアに手をつきながら、ジリジリと場所を移動した。そして、ドアの端が手に触れたところで、持っていた携帯電話をパカッ、と開いた。
 携帯電話の周りだけが、ふわっ、と浮き上がるように青白く光る。幸い、その光が届く範囲に、インターホンの受話器が見えた。
 受話器を取り、耳に当てたが、明らかな「無音」状態―――操作待ちの待機状態ですらない、電源が切れているような感じだ。
 「…停電で電源が切れたのかしら」
 「非常用の意味、ないですね」
 やや皮肉を滲ませてそう言う彼に、彼女は妙に淡々とした声で答えた。
 「考えてみたら、停電してるんだから、電気で動くものが動く筈ないですね」

 ―――いや、そこ、納得しちゃ駄目だろ。

 と、彼は逆に焦ったのだが、

 ―――全部停電が原因なら、電気さえ復旧すればOKね。

 と、彼女はちょっと落ち着いてしまった。
 非常用機器は、非常時でも使えるよう設計されている、だから、非常時なのに使えなくなっているこの事態は、設計者が想定しなかったレベルの緊急事態だ―――実に論理的で、実に正しい現実把握だ。少なくとも、彼にとっては。
 どこかが故障してエレベーターが止まったのとは違い、単にエネルギーがないだけなら、エネルギーさえ補給すれば全て正常に動く―――実に論理的で、実に正しい現実把握だ。少なくとも、彼女にとっては。

 始めからわかっていたことでも、相手がその事態をきちんと把握していない、と再認識したことで、不安が増すことがある。
 始めからわかっていたことでも、相手とその事態をきちんと口に出して確認し合えたことで、安心感が増すことがある。
 バックライトが消えたエレベーター内で、彼の顔はさっきまでより幾分青ざめ、彼女の顔はさっきまでより幾分余裕の色を窺わせていた。


 そして、更に、10分経った。


 「復旧しませんねぇ…」
 彼女はため息をつきつつ、また携帯を開いた。
 場所を変えれば圏外ではなくなるかも、と思っての行動だったが、答えは「エレベーター内はどこでも圏外」だった。永久に電気が戻らない、なんてことは考えにくいが、何時間もこれが続くのは勘弁して欲しいものだ。
 「1時間位かかるのかしら。真っ暗だし、することなくて暇ですね」
 「……」
 それまで話しかければ一応返事はしていたのに、彼からの返事が、なかった。
 不思議に思い、彼女が眉をひそめると、真っ暗闇の中で、ゴン、という音が鈍く響き、エレベーターが微かに揺れた。
 「えっ…、な、何??」
 慌てて携帯電話を開くと―――そこには、エレベーターの壁に額をくっつけるようにしてグッタリしている、スーツ姿の男の後姿があった。
 「ど…どうしたのっ!?」
 「…大丈夫です」
 どう頑張っても大丈夫に聞こえない声で、彼が答える。その声を聞いて、せっかく治まっていた彼女のパニックが、再びジワリと頭をもたげ始めた。
 「な、な、な、何なの、病気? 急病? あっ、ずっと閉じ込められてるから酸欠とか!?」
 「…いや、本当に、大丈夫なんで」
 「やだ、どーしよう、こんな時に具合の悪い人が出るなんて…っ。もーっ、インターホンが駄目でも、警察とか救急に連絡できる装置位常備してればいいのにっ」
 「いや、だから、」
 「ま、待って、待ってね、今、何か、助け呼ぶ方法…」
 「人の話を聞けっ!!!!!!!」

 ストレスは、時に、伝染病になるらしい。
 じっと1人で黙っている分には耐えられても、すぐ傍で誰かがパンクして暴走し始めると、疼いていたイライラが一気に膨張し、こっちでも爆発する。

 怒鳴ると同時に壁を殴ったせいで、エレベーター全体が、微かに揺れた―――気がした。突然の大声と足元に伝わった振動に、彼女は文字どおり飛び上がり、声はヒクッという音と共に喉にひっかかって止まった。
 「…平気だって言っただろ。狭い場所で甲高い声でわめかないでくれ。迷惑だ」
 「な……っ、何よっ。げ、元気なら、よろけたりしないでよ、紛らわしいっ」
 「徹夜明けで昼飯食べ損ねた上に、こんなストレスの巣窟みたいなとこに閉じ込められたら、気分の1つや2つ悪くなって当たり前だろう!?」
 「私が閉じ込めた訳じゃないわよ! 八つ当たりしないで!」
 「誰が閉じ込めたなんて言った!? 被害妄想はやめてくれ!」
 「何なのよ、もうっ、男のヒステリーなんて最低っ」
 「おい、今なんて…」
 「ちょっと待ちなさいよね。とにかく気分が悪いんでしょ?」

 ストレスは、時に、恐怖心を治める特効薬になるらしい。
 人間には様々な感情があって、しかも、複数の感情を同時に感じることができるのが、人間の厄介なところであり凄いところだ。そして、その時覚える感情には、優先順位がある。
 彼女の場合、「真っ暗な中で何故だか自分に怒鳴っている男へのムカムカ」は、「今直面している事故への恐怖心」を、一瞬で上回った。突如、恐怖を克服してしまった彼女は、日頃の彼女からは想像もつかない行動に出た。

 「もう待てないわ。自力で脱出しましょう」
 「は!?」
 「ドアを開けるのよ。映画でもよくあるじゃないの。ドアを開けて外に出れば、声も外の人に届くでしょ」
 「おいっ!」
 今すぐにでもドアに手をかけそうな気配を感じて、彼は慌てて手を伸ばした。真っ暗でカン頼みだったが、上手い具合に、彼女の服の肘あたりが掴めたらしいことが、手に伝わる感触でわかった。
 「何よっ」
 「映画の見すぎだ。やめろ」
 「誰もジャッキー・チェンみたいなアクションをやるなんて言ってないわ。ドアを開けて、間から顔出して、外に大声で助けを求めたっていいじゃないの。とにかく、もうこんな狭い場所に閉じ込められてるなんてイヤよっ」
 「やめろバカっ!!」
 ぐい、と服を掴んだ手が持っていかれ、彼も叫びつつ服を引っ張り返した。が、彼女は、今問題となっている点とは全然違うところに反応した。
 「バカ!? 今、バカって言った!?」
 「それがどうした! いいからやめろっ!」
 「ひ…酷い! あなたが気分が悪いっていうから、一生懸命助かる方法考えてるっていうのに、そんな私をバカ呼ばわり!? 何様のつもりよ、あなた!」
 「バカをバカと呼んでなーにが悪いんだ! こんな真っ暗な中で素人がドアを開けたりしたら、助けを呼ぶ前にドアの隙間から落っこちるぞ! 瀕死の重傷でも負ってるんならまだしも、気分が悪い位でそんな真似するバカなんていないぞ普通!!」
 「じゃあどーするのよっ!」
 「落ち着け!」
 「私は落ち着いてるわよっ! パニクっておかしくなってるのは、そっちの方でしょ!?」
 「僕は平静だ! パニクってるのはキミの方だろ!?」
 「そっちよっ!」
 「そっちだっ!」
 「もうイヤああああぁっ、なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよっ!!」
 「落ち着けーっ!!!!!」

 と、その時。
 ガクン、と大きな反動と共に、世界が明るくなった。

 えっ、と、突然のことに固まる2人をよそに、エレベーターは、まるで何事もなかったかのように上昇を開始し―――やがて、チーン、という平和な音と共に、目的の階に止まったのだった。


***


 「え…っ、しょ、翔子!?」
 エレベーターから出てきた彼女を見て、その場に集まっていた人々の中から、驚きの声があがった。
 声の主をすぐ見つけた翔子は、緊張の糸が切れたように表情を崩し、目を丸くしている幼馴染の方へと駆け寄った。
 「蕾夏あぁ…っ!」
 「えええ!? 閉じ込められてたのって、翔子だったの!?」
 「怖かったあぁー」
 体格の劣る蕾夏に翔子が抱きつく図は、周囲の人間には少々不思議なものに見えた。が、慣れた様子で、はいはいよしよし、と翔子の背中を叩く蕾夏を見て、多分ずーっとこういう関係なんだろう、と、誰もがなんとなく納得した。
 「災難だったねぇ…、たまたま来た日に、停電になっちゃうなんて」
 「インターホンも非常灯もダメになっちゃったのよ。どうなってるのよ、このビルっ」
 「うーん…、まだサービスの人が調べてるとこだから」
 「あれ、瀬谷さん」
 ふいに、周囲から、そんな声が飛んだ。
 翔子をなだめていた蕾夏も、気まずそうに佇む人影に目をやり、少し目を丸くした。
 「あ…、ほんとだ、瀬谷さん」
 蕾夏も知っている人物だとわかり、翔子は目に滲んだ涙を指ですくいながら、振り返った。
 そこには、フレームのない眼鏡をかけた、スーツ姿の男が立っていた。暗闇の中、携帯電話のバックライトを頼りに見ただけなので、同じスーツかどうかは判断できない。が、いかにも理論派らしいその顔に、やけに冷静そうだったあの声を重ねてみたら、気持ち悪いほどピッタリと馴染んだ。
 こいつだ。
 声を聞くより先に、確信できてしまった。
 「瀬谷さんも閉じ込められてたんですか?」
 「ああ…、うん、まあ」
 翔子に向かってガミガミ怒鳴った声とは、別人のように静かな声。そのギャップに、翔子の眉が不愉快げに上がった。
 「取材は…」
 「携帯忘れたんで、取りに戻ろうとしたら、これだよ」
 「あらら…」
 「えー、乗っていたのは2人だけですね。2人とも、怪我や体調不良はないですね?」
 エレベーターの管理会社の人間だろうか、エレベーター脇にいる人物が、翔子と男に向かって確認するようにそう言った。そして、2人が頷くのを確認すると、トランシーバーらしきものでどこかに連絡を取り始めた。それを見て、トラブルも終結したな、と判断したらしく、周りにいた人間がバラバラと事務所の中に戻って行った。
 「…おい、藤井」
 男に呼ばれ、蕾夏が「はい?」という視線を返す。
 「知り合いか?」
 男の視線が、まだ蕾夏の腕にしがみついている翔子に、一瞬向けられた。その視線を追うように、蕾夏も一度翔子の顔を見、ニコリと笑って答えた。
 「ええ。幼馴染です」
 「なんだって藤井の幼馴染がこんなとこにいるんだ?」
 「この前話したでしょう、今度瀬谷さんが取材で協力してもらう大学に、友達がいるって。それが翔子なんです」
 「えっ。じゃあ…」
 途端、男の顔色が変わった。なんだか嫌な予感がして、翔子は蕾夏のシャツの袖を引いた。
 「ちょっと、蕾夏、この人って…」
 「あ、ちょうどいいね。今日は取材で外出しちゃうから無理だと思ってたんだけど」
 「え、」
 「この人が、“A-Life”と契約してる、もう1人のライターさん。瀬谷さんていうの。来週から暫く、翔子んとこの大学で密着取材するから、よろしくね」
 「……」

 『じゃあ、取材協力の担当者は、辻君、君にお願いしよう』

 今日こうしてここに来ているのも、“A-Life”の編集長に教授からの手紙を手渡すためなのだ。自分を担当者に任命した教授を、翔子は密かに恨んだ。

 

 こんな感じで出会った2人。
 この2人が、「面白いコンビだね」と周囲から言われるようになるまでには、「あの2人は天敵同士だ」と言われる時間が、この日から約半年、必要だったりする。
 そして、「お似合いのカップルだ」と言われるようになるまでには―――そこから更に、2年近くの時間が、必要だったりする。


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