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※注:「Infinity World」後のお話(2001年12月)です。未読の方はご注意下さい。 |
「いいなー、クリスマスの北海道」
「…アホか」
クッションを抱えて、瑞樹の出張準備を羨ましそうに眺めている蕾夏を、瑞樹は呆れたように振り返った。
「仕事でなけりゃ、誰が行くか。スキーもスノボもやらねーのに」
「私もやらないけど、雪のクリスマスっていいなー、と思う。ビジュアル面で」
「そうか?」
「イルミネーションが幻想的に見えそう」
「…イルミネーション撮る訳じゃねーからな」
札幌大通り公園は、思い切りライトアップしているのだろうけれど―――瑞樹が撮影で向かう先は、イベントとは無縁な湖畔であり、撮るのは“雪景色の湖に佇む女性モデル”である。
「でも、札幌にも寄るんでしょ?」
「宿泊先が、札幌だからな。でも、日にちが、なぁ…」
今年は天皇誕生日が日曜日で、クリスマスイブである月曜日は、世間的には振り替え休日である。
なのに、23日早朝羽田発、24日夜羽田着、という、イベント無視の撮影スケジュールを立てたのは、「日本は仏教国だから、クリスマスは関係ない」と豪語するクライアント様だ。確かに日本はキリスト教国ではないけれど、ついでに仏教国でもないですよ、と意見するツワモノは、関係者の中にはいなかった。広告代理店の既婚の女性スタッフは、今年のクリスマスは手作りは無理ね、と、仕方なくケンタッキーのパーティーパックを予約していた。
つまり、瑞樹は、クリスマス真っ只中に、仕事で北海道に行かねばならない訳で。
「見られるとしたら、23日の夜だろ」
「…うーん…連休中日か。観光客もピークだよね。カップルも多そう」
「何が悲しくて、仕事の合間に、カップル見学に行かなきゃなんねーんだよ」
瑞樹がそう言って眉根を寄せると、蕾夏は一瞬顔を引き攣らせたが、それでも笑顔を作ってみせた。
「だ…っ、大丈夫! カップルは全部、石ころだと思えばいいから!」
「……」
「あー、私も見たかったなぁ、雪の中のイルミネーション。やっぱ、ついて行こうかなぁ」
「駄目」
即答。
と同時に、鞄に入れようと掴んでいたタオルを離し、掌を蕾夏の額に当てた。
「―――ほらみろ。まだ37度台半ばから下がってない」
「…うー…」
そうなのだ。
蕾夏が散々、いいないいな、と言っているのは、せっかく自分が休みの日なのに、瑞樹の撮影について行けないから。
連休目前の昨日、取材先から編集部に戻ると同時に大きなくしゃみをした蕾夏は、帰宅時には38度の熱を出していた。何の取材に行ってたんだ、と訊ねると、この冬の寒さに屋形船の取材だと言うから呆れる。1日寝て、多少熱は下がったものの、極寒の北海道ロケに連れて行ける状態とは到底程遠い。
「連休なのになぁ…。しかも、クリスマスだし。撮影ついてったら、絶対、23日の夜にイルミネーション見て、一足早いクリスマスを満喫しよう、って思ってたのに…」
「絶対却下」
「…あー、もうっ。悔しいっ」
唇を尖らせた蕾夏は、ごろん、とラグの上に転がり、胸に抱いていたクッションをぎゅうぎゅうに抱きしめた。
「悔しいーっ! 雪景色を眺める物憂げな美女も見たかったし、キラキラの大通り公園も見たかったし、北海道ならではの鮭といくらの親子丼も食べたかったしっ! なんでこんな時に風邪ひくんだろう。私のバカっ!」
「恨むなら屋形船を恨め。いくらのしょうゆ漬けの瓶詰め位なら、買ってきてやるから」
「…いくらのしょうゆ漬けかぁ…」
少し悲しげに眉を寄せた蕾夏は、更にクッションを抱きしめて、呟いた。
「北海道生まれのサラブレッドないくらと、東京のスーパーで売ってるアラスカ産紅鮭の親子丼って、なんだかもの悲しいなぁ…」
「…お前、また熱上がってきたんじゃねーの」
妙な物にもの悲しさを覚えている蕾夏に、瑞樹は軽くため息をつき、蕾夏の傍に腰を下ろした。
本当は、分かっている。
蕾夏がもの悲しいのは、いくらでも鮭でもイルミネーションでもないのだ、ということは。
「…ごめんな」
蕾夏の髪をひと房指に絡め、呟く。
拗ねたような顔をしていた蕾夏は、諦めにも似たため息をついて、瑞樹の空いている方の手に触れた。
「…いくらのしょうゆ漬けはいらないから、写真が欲しい」
「写真?」
「うん。大通り公園の、イルミネーションの。…瑞樹が見た景色、私も見たい。写真でもいいから」
「―――分かった」
熱を帯びた手を握り返してそう答えると、蕾夏はやっと、柔らかな笑みを浮かべてくれた。
***
―――37度1分。
「…ビミョー……」
23日の朝。
瑞樹を送り出してから、もう一度ベッドに入った蕾夏は、昼前に目を覚ました。
とりあえず熱を測ってみると―――この結果。「37度切らないうちは家から出るな」という瑞樹のセリフに忠実であるならば、大人しく家に閉じこもっているしかない体温だ。
「うーん…」
悩みつつ、冷蔵庫から、昨日のシチューの残りを出して温める。おなかが空く、ということは、体調が随分良くなった証拠だろう。
今夜は、この部屋に1人きり。
一緒に暮らすようになって、半年弱。瑞樹が仕事で家を空ける夜はこれで2度目だが、1度目は平日で、蕾夏も仕事だった。
あの時は平気だったのに、今回、これほどまでに気弱なのは―――風邪をひいているせいなのか、今日が休日なせいなのか、それとも…クリスマスシーズンのせいなのか。
『大体、クリスマスってのは本来、家族で過ごすもんだろう? いつからカップル専門のイベントになったんだ? 全く…バレンタインデーにしろクリスマスにしろ、日本人は、イベントを恋愛と結びつけた販売戦略にすぐひっかかるから』
連休前、ぐちぐちと文句を言っていた瀬谷を思い出し、くすっと笑う。
じゃあ瀬谷さんはご家族とホームパーティーですか、と訊ねたところ、返ってきた答えは「そういうイベントには興味ないから」だった。愚痴っている段階で、十分興味があるということに他ならないのに―――言い切った後の瀬谷の後姿が、少し寂しげだったのも、やはり気のせいではないだろう。
―――関係ない、って思ってても、クリスマスムード一色の街を見てると、ちょっと寂しい気分になっちゃうのが、クリスマスなんだよね。きっと。
別に、クリスマスそのものが潰れてしまった訳ではないけれど。
クリスマスのイルミネーションに彩られた北の都を、2人で歩けないのは、やはり残念。
屋形船を恨むしかないのかぁ…、と、蕾夏がため息をついた時、テーブルの上に置いていた携帯電話が鳴った。
「……?」
誰だろう? 瑞樹なら、今頃、撮影現場に向かっているところだろうが―――眉をひそめた蕾夏は、携帯を手に取った。
「はい」
『蕾夏? 私よ。翔子』
「え、翔子?」
久々の幼馴染からの電話に、蕾夏は目を丸くした。
「珍しいね どうしたの?」
『うん…、今、いい?』
「いいよ?」
『あのね。いきなりだけど―――明日の夜、もし暇だったら、うちに来ない?』
「え?」
唐突な話に、首を傾げる。
「なんで、急に?」
『ん…、実はね。クリスマスってことで、明日、うちで簡単なホームパーティーやるんだけど…そこに、来るのよ』
「誰が」
『まーちゃんの婚約者よ』
「―――ああ」
正孝がその女性と婚約したのは、つい1ヶ月ほど前のことだ。
随分と見合い写真を見せられて辟易していた正孝だが、結局選んだ人は、病院に勤めている看護師の女性―――つまりは、職場結婚である。一応恋愛結婚だよ、と照れながら報告してきたが、蕾夏はまだその人の顔を知らない。翔子曰く「地味な女」とのことだ。まあ、翔子と比較してしまったら、世界の大半の女性が地味になってしまうが。
「いいじゃない。この機会に、親しくなっとけば」
『いやあよ! なんで私があの人と親しくならなきゃいけないのよっ。まーちゃんの奥さんになる人なのにっ』
相変わらずブラコン傾向の高い翔子ならではのセリフかもしれない。シチュー皿から浮かせていたスプーンを、思わず落としてしまう。
―――ええと…、だからこそ、親しくなった方がいいんじゃないの?
『ねーえー、お願いっ。蕾夏も来てよ。私1人じゃ気まずくって居づらいのよ』
蕾夏の疑問をよそに、翔子の声は、完全に縋りつくような色合いになっている。ため息をついた蕾夏は、心を鬼にして答えた。
「気持ちは分かるけど…辻さんの奥さんてことは、翔子のお姉さんだもの。翔子が自力で乗り越えないと。第3者の私が加わる話じゃないよ」
『ケチぃ…』
ケチ、って。
無茶を言う。しかも、その無茶を言っている翔子の方が泣きそうな声になるなんて、蕾夏にとっては踏んだり蹴ったりだ。
「じゃあ、翔子だけ抜ければ? クリスマスだもん、他に予定が入っちゃった、とか言い訳はできるでしょ?」
『無理よ』
妙にきっぱりと、翔子は言い放った。
『私に、家族以外のクリスマスの予定がないことなんて、両親もまーちゃんも重々承知してるもの』
「……」
『そもそも、クリスマスっていうのは、家族で過ごすもんなのよ? 日本は変な風に捻じ曲げて、恋人同士の一大イベントにしちゃってるけど、他宗教のイベントをデパートやレストランの販売戦略に利用するのはどうかと思うわ』
「…じゃあ、正しいクリスマスの過ごし方じゃん。諦めてホームパーティーに参加すれば?」
『1人じゃイヤ』
「……」
『うちの両親に、まーちゃんに、まーちゃんの婚約者よ? なんか、私1人寂しい人間みたいに見えて、イヤだわ。あ、勿論、私は寂しいなんて思ってないけど、周りはそうはとらないでしょ? もー、余計なお世話だっていうのよ』
―――今、瀬谷さんと翔子を会わせたら、凄く意気投合するんだろうなぁ…。
そうやって力説してる時点で、寂しいと認めたも同然なのに―――幼馴染と先輩ライターの変な共通項に、ちょっと笑ってしまいそうになった。
「んー、じゃあ、うちの両親でも誘ってみたら? それか、由井君とか」
『由井君は、友達と飲み会じゃないかしら。…ねえ、蕾夏じゃ駄目なの?』
「私は、ちょっとなぁ…。瑞樹が明日、仕事先から戻るから、家で待ってるつもりだし」
『―――ふーん』
翔子の声が、一気に冷ややかになった。
『蕾夏も、日本の悪習に感化されたわね』
「えっ」
『家族と過ごすべきクリスマスなのに、彼氏を優先するなんて。いくら一緒に暮らしてるからって、蕾夏の家族はご両親で、成田さんは家族じゃないでしょ。がっかりしたわ』
「…えーと」
『もういいっ。まーちゃんも蕾夏も、恋愛ボケして浮かれてるんだものっ。じゃーねっ』
「え、ちょっと、翔子」
ぷつ。
という音を残して、電話は切れた。
「―――…」
…要するに、八つ当たり?
さては、辻さんの結婚が決まったことで、ますます親からの風当たりが強くなったんだな―――翔子のイライラの原因がちょっと分かった気がして、蕾夏は軽く眉を寄せ、電話を切った。
―――家族、かぁ…。
クリスマスは何がなんでも家族と、という主張も、何か違う気がする。何がなんでも恋人と、というのも変だけれど。
クリスマスは、子供の日と同じで、子供が主役のイベントだと思う。なんと言っても、イエス様が生まれた日なのだから。サンタクロースだって、そりに乗ってプレゼントを配ってる先は大抵は子供の眠る枕元であって、そのお父さんやお母さんの枕元にプレゼントを置いていく図は見たことがないし。
全世界規模の誕生日というか。
この日に生まれた子じゃなくても、親がいない子でも、恵まれた子でも貧しい子でも―――世界中の子供に、神様からプレゼントをもらえる日。
それは、形として手にできるプレゼントじゃないかもしれないけれど。
優しさとか、笑顔とか、言葉とか。そんなものをもらえる日。そう―――全ての子供が、神様に愛されてるんだ、と信じられる日。
じゃあ…大人になってしまった人たちにとって、クリスマスって、何だろう?
そこまで考えたところで、小さなくしゃみを、ひとつ。
「…うー…」
微熱だから出かけちゃえ、と思っていたけれど…やっぱり、やめといた方がいいのかもしれない。
クリスマスの準備は明日にしよう、と考えた蕾夏は、急いでシチューをたいらげ、またベッドにもぐりこんだ。
…寂しいなぁ。
この季節、一緒に過ごしたい人がいるのに、風邪ひいて家に閉じこもってるしかなくて、その人の傍にいられない、って――― 一緒に過ごしたい相手がいない時より、寂しいかも。
毛布にくるまって、そんな風に思う。
この翌日には、クリスマスイブに浮かれまくっている街に1人で出かけて、もっと寂しい思いをすることになるのだが。
***
―――虚しい…。
クリスマス仕様のイルミネーションの数々を前に、1人だけ暗い顔をしてるのも、変なのだけれど。
蕾夏が見たら、きっと目をキラキラ輝かせるに違いない光景を見ても、感じるのはひたすらに“寂しさ”だ。
なんで俺、こんなもんを、ここで1人で撮ってるんだろう?
そりゃあ、キリスト教徒じゃねーし、クリスマスはガキにプレゼント配るためのイベントだと思ってるし、ティファニーだかヴィトンだかに群がってるバカップル見ると「お前らクリスマスの意味分かってねーだろ」と苛立った気分になるけど。
海晴がいなくなってから蕾夏と出会うまでの10年以上は、そもそも、クリスマスの存在自体、忘れてたりしたけど。
「成田さぁん」
―――また出た。
背後からの声に、うんざり気分に拍車がかかる。眉根を寄せた瑞樹は、不機嫌度3割増の顔で振り返った。
雪の積もったアスファルトにその靴はないだろ、と突っ込みを入れたくなる、異様に細くて高いヒールの靴。この寒さに、豪華な毛皮の中に着ているのはノースリーブという大いなる矛盾。雪の湖畔でのロケに音を上げなかったのはあっぱれなプロ根性だが、それはカメラマンとしての視点。その立場を離れてしまえば、お前、頭おかしいんじゃねーの、という呆れた気分オンリーだ。
「やだぁ、せっかくのイルミネーション、1人で見に行っちゃうなんてぇ」
一体どこで、瑞樹がイルミネーションを撮りに行くという情報を仕入れたのやら―――真冬の北海道にふさわしくない服装のモデルが、妙な足取りで駆け寄ってくる。あんな足取りで、滑って転ばないのが奇跡に思える。
「こーゆーのは、恋人と見るもの、って相場が決まってるのにぃ。1人じゃ寂しいでしょ?」
瑞樹に追いついたモデルは、そう言って、うふふふふと計算高そうな笑いを浮かべた。
「お互い、こんな時期にこんな場所に仕事で飛ばされちゃったんだもの。寂しい夜をいじけて過ごす位なら、恋人気分で楽しまないとねっ」
「…バカじゃねーの」
もの凄くしらけた声でそう言い捨て、歩き出す。なのに、モデルの方も根性で追いかけてきた。
「なーによー。つまんなそーな顔して立ってた癖にぃ」
「……」
「もしかして、彼女に悪いとか、そういうこと考えてんの? ふるーい。それに今日はまだ23日じゃない? イブを恋人と過ごせばオッケーなんだから、一晩遊んだって問題ないわよぉ」
「……」
この女の頭の中には、おがくずか、でなければ産地不明の怪しいワインか何かが詰まっているのかもしれない。頭を叩いたら、スロットの硬貨吐き出し口よろしく、口からも耳からも“男”という字が出てきそうだ。
―――なんで俺は、こういう女にばっかり、変な興味を持たれるんだろう。
人生何十回目か分からない呟きに、ため息をつく。
険悪なムードで振り返った瑞樹は、さっきより更に不機嫌度2割増の目で、背後の女を睨んだ。
「…あんたの言うその“遊ぶ”って、要するに、やることだろ」
「えっ、他に、何があるの?」
おい。
素で不思議がるな、素で。
「昼間電話してたカレシで満足しとけ」
呆れたように瑞樹が言うと、女は、悪びれた風もなく、慣れた様子で拗ねたような仕草を見せた。
「だぁってぇ〜、寂しいんだものぉ〜。それに、成田さん、カレより魅力あるしぃ〜」
「―――…」
「だいじょーぶ、カレも今頃、浮気してると思うから。あたし達、お互い干渉しない、大人の関係なのぉ」
…浮気しあうのが大人の関係かよ。
バカ女、決定。
となれば、行動は早かった。
「ふーん」
短く相槌をうった瑞樹は、おもむろに女の毛皮のコートの襟首を掴み、それを一気に引き下ろした。
氷点下近い北海道の寒空の下、露出しまくりな服装が災いして、公衆の面前に彼女の肩から二の腕にかけてが思い切り晒された。
「きゃああああぁっ!」
「その格好で立っとけよ。喜んで群がってくる男が大勢いるから」
慌てふためいた様子で毛皮をかき寄せる女を一瞥することもなく、瑞樹は踵を返した。
「な、何するのよーっ!」
「ここいらの男に、変な病気移すなよ。じゃーな」
「サイテーっ!!!」
どっちが最低なんだか。
ぎゃあぎゃあ喚いている女を置いて、瑞樹はさっさとその場を立ち去った。
バカ女は、間違っている。
瑞樹が、つまらなそうにイルミネーションを見ていたのは、カップルだらけの中に1人でいたからではない。寂しい、虚しいと感じたのは、一緒に見る相手や、一晩抱き合って眠る相手がいないせいじゃない。
蕾夏が、ここにいないからだ。
他の誰が一緒にいても、意味がないのだ。蕾夏がいなければ。
真っ白に雪化粧した街を彩る、鮮やかなイルミネーションの数々は、確かに見事だった。でも…足りない。心を動かすものが。
―――あいつと一緒に見たかったよなぁ…、これ。
今更言っても仕方ないのだけれど…やっぱり、ため息をついてしまう。
蕾夏と出会うまでは、クリスマスもイルミネーションも、1人でも寂しいなんて思ったことはなかった。
一緒に過ごしたい人がいるのに、傍にいない。その寂しさは――― 一緒にいる幸せを知ってしまったが故の、寂しさなのかもしれない。
***
やっとのことで家に着いたのは、クリスマスイブも残すところ2時間という、午後10時だった。
呼び鈴を鳴らし、蕾夏が玄関を開けるのを待つ。が、何故か、ドアの向こうで人の動く気配はなかった。
「……?」
帰る時刻は、羽田を出る時連絡を入れたから分かっているだろうに―――風邪をひいて熱を出していた蕾夏だけに、少々、不安な気持ちになる。
更にもう1度、呼び鈴を鳴らしてみたが、反応なし。眉をひそめた瑞樹は、自分の鍵を取り出し、玄関の鍵を開けた。
「蕾夏…?」
不審げな声で蕾夏の名を呼び、ドアを開けると。
途端―――瑞樹は、思いがけない光景に、言葉を失った。
玄関スペースと部屋とを隔てているドアは、完全に開け放たれていた。
家中の電気はすべて落とされている。背後の廊下から家の中に射し込む蛍光灯の明かりも、瑞樹が壁となって遮っている。そんな中―――開け放たれた扉の向こうに、温かな光が見えた。
それは、クリスマスツリーだった。
結構な大きさの―――1メートルは軽く超えているであろうサイズの、クリスマスツリー。赤や銀を基調とした数々のオーナメントが飾り付けられ、柔らかな電球色と淡い青系統、2色の電飾が、ツリー全体に巻きつけられている。決して派手派手しいものではなかったが、この部屋にマッチする、優しい色合いのツリーだった。
「…おかえり」
ツリーの傍らで膝を抱えていた蕾夏は、仕掛けていたサプライズが成功したのに満足したのか、酷く嬉しそうな笑みを瑞樹に向けていた。
暫し放心状態になっていた瑞樹も、それで我に返り、後ろ手で玄関のドアを閉めた。
「一体…どうしたんだ、それ」
靴を脱いで部屋に上がりこみながら瑞樹が訊ねると、蕾夏はよいしょ、と立ち上がった。
「今日の昼間、買ってきたの。結構持って帰るのが大変だったけど」
「なんでまた…」
2人きりだし、パーティーを開く予定もないから、別にツリーを買うほどではないよね、と店頭にツリーの類が並び始めた頃に話していたのに。瑞樹自身も、クリスマスツリーなんてものを一般家庭で見たことがあるのは、ロンドンにある一宮家位のものだったから、別にいらねーや、と思っていたのに。
瑞樹の問いに、蕾夏はくすっと笑い、ツリーに視線を向けた。
「あのね―――考えてたの。大人にとってのクリスマスって、何かなぁ、って」
「え?」
「子供の頃はね、ただ漠然と、サンタクロースが子供にプレゼント配る日なんだ、って思ってたけど―――プレゼントを貰う子供の時代を過ぎちゃった大人にとって、クリスマスって、何なんだろう、って」
「…プレゼントをあげる側になるんじゃねーの」
「うん。私も、そういうことだと思った。父親や母親になって、今度は自分達がサンタクロースになるんだ、って。でも…まだ親になっていない、でももう子供でもない、そういう大人が一杯いるでしょ」
「……」
「けれど、そういう大人にとっても、やっぱり同じなんだよね」
そう言って蕾夏は、ツリーの中ほどに釣り下がっていた銀色の鈴を指先でつついた。
「愛を与えてもらう側から、愛を与える側になるんだ、って部分では、同じこと。与える相手は子供に限ったことじゃないんだ、って思った。たとえば、親だったり、きょうだいだったり、恋人だったり、友人だったり―――心の大きな人なら、それこそ、ボランティアに参加して、愛を与えてくれる親のいない子供達にプレゼントを配ったりするんだと思う。相手が自分にとっての“何”なのか、なんて、たいして重要じゃなくて、相手が“愛すべき存在”であれば、それでいいんだな、って」
「…愛すべき存在、か」
「クリスマスは、賢者がイエス様に神の祝福を送った日だもの。愛すべき存在に、愛を与えるイベントなんだよ。きっと」
家族で過ごすのが本来の正しい過ごし方だ、とか、恋人がいないと虚しくて悲しいクリスマスだ、とか、そんなんじゃなく。
相手は、誰でもいい。家族でも、恋人でも、友人でも、または今日初めて顔を合わせた誰かでも―――愛すべき存在に、神の祝福を祈り、愛を与える。それが、クリスマス。
「前より広い部屋に、瑞樹もいなくて、少し寂しかったけどね。あ、そうだ、瑞樹にツリー見せてビックリさせよう、って思いついて―――どんな飾りつけが一番瑞樹が喜ぶかな、って色々考えながら飾りつけして…そうやって過ごしたら、ちっとも寂しくなかった」
顔を上げた蕾夏は、瑞樹を仰ぎ見、ふわりと笑った。
「クリスマスツリー、実家にいた時も私が飾ってたけど、それって私が楽しむためだったから。誰かのために飾るのって、楽しいね」
「…そっか」
つられたように、瑞樹も微笑む。瑞樹の驚く様を想像して、楽しげに口元を綻ばせながら、床にぺたんと座り込んでツリーを飾り付けている蕾夏の姿が、容易に思い浮かべることができたから。
「でも、昨日、豪華なイルミネーション見てきちゃった瑞樹からすると、ちょっと地味かなぁ?」
ガイドブックなどで見た昨年のイルミネーションを思い出したのか、蕾夏が少し心配げに眉を寄せる。が、瑞樹はすぐにそれを笑い飛ばした。
「ばぁか。こっちのツリーの方が、何倍も感動的だって」
「ほんと?」
「ほんと。マジな話―――昨日のイルミネーションは、人生で一番つまらないイルミネーションだった」
「あ。でも、写真は撮ってきてくれたんでしょ?」
つまらないから撮ってこなかった、なんて言わないでしょうね、という目つきで、蕾夏が斜め下からじっと見つめてくる。思わず吹き出し、瑞樹はポンポン、と蕾夏の頭を軽く撫でた。
「大丈夫、撮ってきた」
「よかったー。行けなくて残念だったけど、写真のお土産があれば、一応及第点かな」
「お土産なら、もう1つ」
「え?」
キョトン、と目を丸くする蕾夏に、瑞樹は無言で、手にしていたものを差し出した。
「……?」
瑞樹の手には、ちょっと小ぶりな、クーラーパック。
「多分、そろそろ限界だから。早く開けろよ」
瑞樹にそう言われ、まだキョトンとしていた蕾夏は、慌ててクーラーパックを開けた。
そして、中身を見て―――思わず、声をあげてしまった。
「か…っ、可愛い―――…!」
大量の保冷材に囲まれてクーラーパックの中に納まっていたのは―――高さ20センチ弱の、雪だるまだった。
多少いびつな形ではあるが、それが手作りの良さで、いい味わいになっている。頭に乗っかった帽子代わりのフィルムケースから、誰が作ったのかは一目瞭然だ。
「瑞樹が作ったの? これ」
「まあな。雪だるまなんて久々で、頭と胴体のバランスが変になりすぎて、1度失敗したけど」
「わーい、冷凍庫に入れて、とっとこっと。…ねえ、どうして突然、雪だるまなんて?」
「…お前、雪を見たがってただろ」
ちょっと、照れくさくなって、声が僅かに小さくなる。
「雪の中のクリスマスは、ちょっと無理だけど…雪見せることなら、できるかと思って。なんとか雪が融けないように持って帰れねーか、って、地元のスタッフに知恵借りまくって―――雪そのままより、雪だるまの方が、固めた分マシかも、ってことで」
「……」
「お前のツリーじゃないけど…作ってる間、結構、楽しかった」
「…そっか」
そう、相槌を打った蕾夏は、幸せそうな笑みを浮かべ、クーラーボックスをツリーの横に置いた。
白い雪だるまの表面に、ツリーに巻きつけた電飾の光が、まばらに落ちる。その様子を、2人は、暫く眺め続けた。
「…うん。クリスマスっぽい」
「…そうだな」
小さく笑いあった2人は、どちらからともなく肩を寄せ合い、どちらからともなく軽いキスをした。
豪華なディナーも、雪景色も、きらびやかなイルミネーションもなくても。
愛すべき人と共に笑いあえたなら、それが最高の、クリスマスプレゼント。
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