←BACKStep Beat TOPNEXT→

 

no062:
指輪
-odai:29-

 

縛リツケタイ想イ。縛ラレタイ想イ。

―99.03―

 「は!? 結婚する!?」
 久保田は、冷酒の入ったお猪口を落としそうになった。瑞樹も、飲んでいた冷酒でむせそうになった。
 「うん、もう決めました。この間、有給とって、静岡の奈々美さんの実家にも金沢のうちの実家にも行ったし」
 当の和臣は、いたって上機嫌でそう言った。先週末の有給がそういう用事だとは、久保田も瑞樹もさすがに気づかなかった。いくら何でも性急すぎるだろ、と、久保田は眉をひそめた。
 「…なぁ、カズ、まさか…」
 「できちゃった結婚じゃないですよ、念のため断っておきますけど」
 久保田の先回りをして和臣がピシャリと言った。
 「オレに限って、それはぜっっったいありません。オレ、結婚するまでは、けじめある関係でいようと思ってるんですからっ」
 ―――マジ?
 久保田と瑞樹が、顔を見合わせる。今時な外見とは裏腹に、和臣は女性に関してはかなりの硬派なのだ。ところで、けじめある関係とは、どこまでの関係を指しているのだろう? その辺は、和臣の言葉から読み取るのは不可能だった。
 「じゃ、なんで…」
 「おかしいかなぁ。オレとしては極普通なんだけど。知り合ってから、この4月でまる2年だし」
 涼しい顔で刺身こんにゃくを頬張る和臣を、久保田と瑞樹は呆然と眺めた。
 「実を言えば、まだオレの方は半分しか了承取れてないんだけど、どーせ母さんが納得する日なんて一生来ないんだろうから、もう強行突破。さっさと入籍したもん勝ちだと思って」
 「……」
 入籍したもん勝ち―――凄いセリフだ。
 「あ、式は、偶然キャンセルがあったんで、ゴールデンウィーク明けに決定したから。招待状は今月中に作るけど、2人や佳那子さんは手渡しでいいよね。藤井さんには郵送するよ」
 「…はあ…」
 「そうそう、成田、カメラマンお願いしていいかなぁ。それだけは、急すぎて確保できなかったんだ」
 「…いいけど…」
 ―――なんでそんなに早いんだ。お前、つい2ヶ月ちょい前までは、片思いでヨレヨレになってたじゃないか。
 急展開に、久保田も瑞樹も頭がいまいちついていけない。会社で見せていた幸せボケしまくった顔の裏では、こんな事になっていたとは…。
 「…ま、とりあえず、おめでとう」
 瑞樹がなんとかそう言うと、和臣はへらっと崩れきった笑顔で、
 「ありがと〜。成田、羨ましい?」
 と答えた。大抵の和臣の行動には慣らされている瑞樹も、これには一気に脱力した。
 「…いや…正直、あんまり」
 「じゃ、久保田さん、羨ましい? 佳那子さんと奈々美さん、同い年でしょ」
 「佐々木を引き合いに出すなっ。―――いいんだよ、俺は。当分結婚なんてしないんだから」
 「え、そうなの? 佐々木さん、怒らないかなぁ」
 「だから佐々木を出すなっ! いいの! 俺にもいろいろ事情があんだよっ!」
 どうやら和臣は、2人から羨ましがられたいようだ。なんといっても、出逢った瞬間に老夫婦になった自分と奈々美を想像して恋に落ちてしまった和臣なのだから、そんじょそこらの適齢期の女性より、和臣の方が結婚願望は強い。ここまで破顔するのも、無理もないのかもしれない。
 「でも、やっぱり結婚ってお金かかるねぇ…。貯金しといて良かった」
 手酌で冷酒を注ぎつつ、和臣はため息混じりに呟いた。
 「結婚式はなるべく安くあげるつもりだけど、婚約指輪に結婚指輪があるもんなぁ。大した金額じゃないけど、オレ、まだ2年目だから貯金してなかったら多分アウトだった。引越し費用も、結局奈々美さん任せになっちゃったし」
 「婚約指輪、って、お前ら、婚約期間なんて2ヶ月かそこいらじゃねーか」
 久保田が呆れたように言うと、和臣は我が意を得た、と言わんばかりの顔をした。
 「でしょー!? 久保田さんもそう思いますよねぇ!? オレもそう思ったんだけど、奈々美さん、2ヶ月でも指輪がないのは嫌だって。安いので構わないから婚約指輪が欲しいって言うんだもん。…女心って、よくわかんないよ」
 「わからんなぁ…」
 「成田、わかる?」
 「わかる訳ねーだろ」
 瑞樹は、吐き捨てるようにそう言った後、おまけのように付け加えた。
 「逆なら、まあ、わからないでもないけど」
 「逆?」
 「カズが、是が非でも指輪を買う、って息巻くんなら、まだわかるけど、ってこと」
 和臣は眉根を寄せ、真剣に考えた。が、何も回答が出てこない。ポカンとした表情のまま、顔を上げる。
 「どうして?」
 「婚約指輪嵌めてる女に手出そうとする男は、そうはいないから」
 「…あああぁっ! そうかっ!」
 世紀の大発見でもしたように、和臣はオーバーな納得の仕方をした。空になったガラス製のお銚子を、叩きつけるような勢いでテーブルに置き、瑞樹の肩をバン! と叩く。
 「うわー! 盲点だったなぁ、それ。良かったぁ〜、指輪買ってあげて。ちゃんと薬指に嵌めてるか、明日確認しないと。成田、凄いよ! オレ、感動した!」
 「…いや、感動するような話じゃねぇと思うけど…」
 当然、瑞樹の顔はひきつる。だが、そんな瑞樹を見て、久保田は少し意外そうな顔をした。
 一人感動しまくる和臣を放っておいて、瑞樹は疲れたように、つまみの骨せんべいの皿を引き寄せた。骨せんべいをひとかけら摘んだところで、久保田の視線に気づき、軽く眉をひそめる。
 「なに」
 「いや、ちょっとな。お前らしからぬ発想だと思って」
 「は?」
 「お前ってずっと、良くも悪くも、何にも誰にも執着しない奴だったから―――無欲っていうか、去る者追わずというか」
 うまい表現がみつからないのか、久保田は歯がゆそうにしながら、いろんな単語を繰り出す。言わんとするところはわかるので、瑞樹は苦笑して、無言のまま目で先を促した。
 「とにかく―――そのお前が、“他人に取られたくない”って心境を理解するとは、また珍しい事だな、と思ってな」
 久保田がそう言うと、瑞樹は面白そうな笑いを浮かべ、
 「またオーバーな。一般論だろ、こんなの」
 とあっさり言ってのけた。その一般論ですら引き合いに出す奴ではなかった、という事が久保田としては言いたかったのだが、そのあたりは汲み取ってはくれなかったようだ。
 「…まあ、一般論だけどな、確かに。でも、もしかしたら好きな女でも出来たのかな、と、ちょっとだけ思ったんだよ」
 ちょっとむっとしながら、お猪口を口に運ぶ。少し位、瑞樹の表情に変化がないだろうか、と注意をはらいながら。
 だが、瑞樹は一切表情を変えない。イエスなのかノーなのか、久保田がその表情から読み取る事はできなかった。
 最近の瑞樹はちょっと変わってきた、と思っていたが、こういう真意の見え難いところは相変わらずだ。ますます面白くなさそうに、久保田は冷酒をくいっとあおった。

***

 「えぇ!? もう結婚するの!?」
 「ん、もう決めたの」
 久保田たちが冷酒で乾杯している頃、佳那子や蕾夏も奈々美から婚約の報告を受けていた。
 2人も、やはり呆気にとられた。交際2ヶ月で婚約―――しかも、あと2ヶ月と少しで結婚。早い! 早すぎる! と2人とも口を揃えたが、奈々美は「そうかなあ?」と、のんびりした口調で言った。
 「だって、カズ君との交際って、最初から“結婚を前提としたお付き合い”だったでしょ? 別に急ぐつもりなんてなかったけど、うちの両親に紹介したら、即答OK貰えちゃったんで、じゃあ両親の気が変わらないうちに、って。カズ君のお母さんがまだ渋ってるけど、カズ君は構わないって言うし、うちもお姉ちゃんは面白くなさそうにしてるから、ま、その2人はほっとくことにしたの。結婚しちゃえば、なんとでもなるわ」
 「…はあ…」
 「それにね、私も早く安心したいの。カズ君が他に目移りしないように。女神様扱いな藤井さんはまぁ別格としても、いつそれに匹敵する若い女の子が登場するかわからないでしょ?」
 ―――冗談で言ってる訳じゃ…ないんだよね?
 佳那子と蕾夏が、顔を見合わせた。そう―――3人の中で、ある意味奈々美が一番したたかなのだ。
 「でも…婚約期間なんてほとんどないのに、ちゃんと婚約指輪買ったのね」
 少し感心したようなトーンで、佳那子がそう口にした。奈々美の左手薬指には、小ぶりながら一応ダイヤの指輪が輝いている。
 「うん、一応ね。お金節約するために激安のを選んだけど、形だけでも欲しくて」
 そう話す奈々美は、思いっきり幸せそうだ。そんな奈々美の指に光るリングをじっと見つめていた蕾夏は、おもむろに顔を上げた。
 「ね。婚約指輪って、なんのためにあるの?」
 小学生が「どうして空は青いの?」と訊ねるのと、さして変わらない口調。奈々美も佳那子も、一瞬ポカンとした表情をした。
 「なんのため、って―――なんのため…なのかしらねぇ…? 考えたこともなかったわ。ナナ、どうなのよ。あんた経験者なんだから、わかるんじゃないの?」
 佳那子は早々にギブアップして、奈々美に話を振った。奈々美も小首を傾げて考える。
 「え、えっと…何かな? 婚約の証を品物として残す意味があるんだと思うけど…。それと、“婚約者がいますよ”っていう、周囲へのアピールのためもあるのかも」
 その言葉に、蕾夏が眉をひそめる。
 「何それ。それって“悪い虫がつかないようにするためのもの”ってこと?」
 「えっ…」
 奈々美は、パチパチと目を瞬いた。でも、ある意味そういう側面もあるわね、という気もした。
 「そ…それもあるかな? 男の人に結婚指輪して欲しい! って女の人が多いけど、それも“浮気防止”の側面があるものね」
 「―――なーんか、嫌だなぁ、やっぱり…」
 蕾夏は、少し唇を尖らせるような表情をすると、頬杖をついた。
 「なんかねぇ…ジュニア・ハイ時代の先生が、昔は花嫁が逃げ出さないように縄でくくって連れて来たもんだ、それの名残が指輪なんだ、なんて言ったもんだから、どうも指輪って、束縛の象徴のような気がしてしょうがないんだよなー…」
 凄い話をする先生もいたものだ。佳那子も奈々美も、唖然としてしまった。
 「でも、好きだからこそ束縛したい、って感情も、あって当然じゃない?」
 と奈々美が言うと、蕾夏はますます渋い顔をした。
 「でもそれって、結局、愛情というより独占欲なんじゃないかなぁ。男の人って、いざ結婚ってなると、どこにも行くなー、ずっと一緒にいろー、って豹変するじゃない。ああいうのって、なんか怖い。だったら何、結婚て結局、男が女を縛り付ける事な訳? って…」
 難しい顔でそう言った蕾夏は、佳那子と奈々美の絶句してる姿にようやく気づき、言葉を飲み込んだ。婚約したばかりの人間を前にして不適切な話だったのは明らかだ。しまった、という顔で、慌ててフォローし始めた。
 「あ、あの、奈々美さんとカズ君の結婚にケチつけてる訳じゃないからね? ただ私がそう思ってるだけだからっ」
 「え? あ、うん。それはわかってる。けど…」
 困惑気味の奈々美と、かなり驚きの顔をしている佳那子が、顔を見合わせた。お互いが同じ部分にひっかかりを感じているらしいと察し、代表して佳那子が口を開いた。
 「…もしかして蕾夏ちゃん、プロポーズされた経験、あるの?」
 「え?」
 「なんか、妙に話にリアリティがあるんだけど」
 蕾夏は、目を2、3度瞬くと、慌てたような、でもどこか困ったような笑顔を見せた。
 「や、やだなぁ、そんな風に聞こえた? あくまで一般論のつもりだったんだけど」
 「一般論?」
 「そう、一般論。…でも、ごめんね、この場にふさわしい話じゃなかったよね」
 そう言って済まなそうに手を合わせている蕾夏は、それ以上の他意はなさそうにも見えるし、ひたすら笑って誤魔化しているようにも見える。相変わらず真意の見え難い子よねぇ…、と、佳那子は眉をひそめた。
 「んー、でも…束縛、かぁ…」
 済まなそうな蕾夏の態度とは対照的に、奈々美は、妙に納得したような顔をして、自分の指に光る婚約指輪を眺めて、呟いた。
 「なんか、藤井さんの話聞いてて、わかった気がするわ」
 「え?」
 「私が、なんでこんなに婚約指輪にこだわったのか」
 「……?」
 要領を得ない顔をしている2人をよそに、奈々美はにっこりと微笑んだ。
 「私、カズ君に束縛されたかったんだわ」
 「束縛されたかった?」
 「こんな小さな指輪でもね、嵌めてると実感できるのよ。あー、私って、カズ君のものなのね、って。人を好きになれば、独占したいって気持ちも生まれるけど、逆に“独占されたい”って気持ちも生まれるのよね。婚約指輪は、結局、相手に独占されている証かもしれない」
 「…は…あ」
 「好きな人になら、束縛されるのも嬉しいもの。心地よい束縛ってのもあるものよ?」
 ―――そうですか。
 佳那子も、蕾夏も、頬を染めて照れながら凄い事を切々と語る奈々美を、半ば感心しながら、半ば呆れながら眺めていた。

***

 ―――心地よい束縛、ねぇ…。
 翌朝の会社で、佳那子はプラスチックのカップにコーヒーを注ぎながら、傍らのミーティングデスクでコーヒーを飲んでいる久保田の方を窺った。
 「…どうした? 顔に何かついてるか?」
 「―――そんなんじゃないわよ」
 バツが悪そうに顔を背ける佳那子に、久保田は訝しげな顔をした。
 「木下が結婚するのが、そんなにショックだったか?」
 「違うわよ。ちょっと、哲学的な事を考えてただけよ」
 「朝っぱらから哲学?」
 「愛と束縛について、いろいろ」
 飲みかけのコーヒーを吹き出しそうになって、久保田は苦しそうにむせた。
 「お…っ、お前、いきなり何考えてるんだよ」
 「…総合すると、まぁこんなもんか、って事よ」
 大きなため息とともにそう言うと、佳那子はサーバーをコーヒーメーカーに戻した。
 ―――まあ、確かに、心地よい束縛なのかもしれないわね、これも。
 でも、束縛されてる自分に気づいて安心してるなんてこの男に言ったら絶対つけ上がるから、何も言わないでおこう―――まだむせている久保田の背中をポン、と叩いて、佳那子は自分の席に戻った。
 「あら、成田、おはよう」
 戻ってみると、席をはずしている間に出社したらしい瑞樹とぶつかった。やはり仕事がいっぱいいっぱいの状態らしく、早くもバインダーを開いて難しい顔をして何かをチェックしている。
 「おはよ」
 「昨日は神崎に、かなりあてられたらしいわね」
 「散々にな」
 バインダーから目を離さずにいる瑞樹も、昨日の和臣のノロケ状態を思い出したのか、不機嫌に眉を顰めた。
 「あ、そうそう。成田なら知ってるかしら」
 「何」
 「蕾夏ちゃんから、誰かにプロポーズされた、っていう相談、受けた事ない?」
 佳那子の質問に、瑞樹は怪訝そうに目を上げた。
 「何それ」
 「本人は一般論だって否定してたけど、なんだか話にリアリティがあったから、実はそういう経験があるんじゃないかな、と思って。成田、聞いた事ない?」
 「俺が知る限り、ないよ」
 「そ、っか」
 「深読みのしすぎなんじゃねーの」
 クスリと笑い、瑞樹はまたバインダーに目を落としてしまった。
 ―――深読み、かしらねぇ…?
 どこか釈然としないものがあったが、別にどちらでも佳那子自身に影響がある訳ではない。ちょっと伸びをすると、佳那子は今日の作業準備のために、中川部長の所へと向かった。


 佳那子が去った後も、瑞樹はバインダーに目を落としたままだった。
 が、実はその内容を見ている訳ではない。何も書いていない余白部分にじっと視線を据え、瑞樹は、あの日見た冷たい目を思い出していた。
 ―――なるほど…ね。尋常じゃない敵意だと、あの時不思議に思ったけど―――そういう事、か。
 そこまで想われた相手ならば、蕾夏自身の罪悪感が相当なものなのも頷ける。案外、関係者から見たら、その手を振り解いた蕾夏も、後から現れて奪おうとしている瑞樹も、「悪役」なのかもしれない。

 「…それが、どうしたよ」

 まだあいつを縛ろうとするなら、その時は容赦なく叩きのめすまでの事。

 これまでにも増して好戦的な自分に苦笑しつつ、瑞樹はパタン! とバインダーを閉じた。


←BACKStep Beat TOPNEXT→


  Page Top
Copyright (C) 2003-2012 Psychedelic Note All rights reserved. since 2003.12.22