キリリク断念ストーリー・ランキング

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2005年10月〜12月に行われた「キリリク断念ストーリー・ランキング vol.2」。
キリ番を取ることを断念した(?)方々の多数の投票をいただきました。みなさん、ありがとうございました。
結果のほどは こちら をご覧いただければ分かると思います。前回の恐ろしさに比べると、今回は常識的リクエストでホッと一安心です。

 


 

Smile Again

 

 

 お隣の家のちーちゃんは、私より1つ年上の、一番仲良しの男の子だった。

 年の離れたお姉さんに可愛がられてるせいか、やんちゃな男の子、というより、動物や花が大好きな男の子。よく私と一緒に捨て犬や捨て猫を拾ってきては、うちのお母さんやちーちゃんのお母さんに叱られてたっけ。
 顔立ちも、子犬みたいで、ちょっと可愛い。
 だから、近所のガキ大将なんかに苛められることが多くて、小学校1、2年の頃は、私がちーちゃんを庇ってガキ大将と喧嘩してた位だった。
 「カナは女の子なんだからさ、男の子に飛び蹴りなんかやっちゃダメだよ」
 とちーちゃんはよく私に注意してたけど、私は、大好きなちーちゃんを守るナイトになった気分で、嬉々として飛び蹴りしてた。そうそう、そんな風だから、ちーちゃんのお姉さんにも「カナちゃんは男の子に生まれた方がよかったかもねぇ」なんて言われてたんだ。

 可愛くて、大人しくて、優しいちーちゃん。
 ちーちゃんは、私の初恋の人だ。
 ただの“好き”が、恋の“好き”に変わったのがいつなのか、自分でも、よく分からない。でも……最初に胸がドキンといって締め付けられた瞬間は、よく覚えてる。

 確か、私が小3、ちーちゃんが小4の、秋。
 登校時、校門の前で転んじゃった見知らぬ1年生の男の子を、ちーちゃんが助け起こしてあげた時。
 膝小僧を擦り剥いて泣いてるその子を宥めて宥めて、やっと笑わせることができたちーちゃんに、その子は「お兄ちゃん、どうもありがとう」とお礼を言った。
 そのお礼に応えた時の、ちーちゃんの笑顔は―――男の子に言うのは変だけど、まるで聖母マリア様みたいな、慈愛に満ちた笑顔だった。
 私は、そんなちーちゃんの笑顔に、心臓のど真ん中を打ち抜かれたのだ。


 ちーちゃんと両思いになったのは、私が小6、ちーちゃんが中学に上がる、春。勢いで告白しちゃったら―――あっけないほど「実は、僕も」と言われた。
 嬉しくて、嬉しくて。
 別に何が変わった訳でもなく、ただ今まで通り、お互いの家を行き来して、遊んだり勉強見てもらったりするだけなんだけど、それでも、嬉しくて。
 夏休み前、初めてキスした時なんか、このまま死んじゃってもいい、って本気で思うほど、嬉しくて。
 これからもずっとずっと、ちーちゃんと一緒にいるんだ。私はそう、信じてた。

 初めてのキスから2ヶ月後―――お父さんの仕事の都合で、ちーちゃんの家族が、東京に引っ越しちゃうまでは。


 大都会・東京と、そんな東京からは遠く離れた、地方都市。
 私とちーちゃんは、その距離を少しでも埋めようと、一杯一杯、手紙を書いた。
 会えなくなっても、私にはちーちゃんが一番。目を閉じれば、ちーちゃんの笑顔がいつだって浮かんでくる。その笑顔に、毎朝おはようを言って、毎晩おやすみを言って過ごした。
 なのに―――ちーちゃんが引っ越してから1年ほど経つと、少しずつ、少しずつ、ちーちゃんからの手紙が減ってきて。
 それでもめげずに書き続けたけど…私が中2の夏、とうとう、手紙の返事が来なくなった。

 …私、ふられちゃったのかな。
 当たり前だよね。もう2年も、顔合わせてないんだもの。
 悲しいけど、諦めるしかないよ―――そう自分に言い聞かせること、半年。中学2年も残り僅かとなった頃。
 奇跡は、起きた。


 「カナ! お隣の楠本さん、東京からこっちに戻ってくるんだって!」
 「えっ…」

 お母さんが、ちーちゃんのお父さんと同じ会社に勤めてるご近所さんから仕入れた情報に、私は目を丸くした。
 ―――ちーちゃんが、帰って来る…!
 信じられない。まさに奇跡だ。
 もしかしたら、もうふられちゃったのかもしれないけど…でも、構わない。とにかくもう1度、ちーちゃんに会えるんだから。


 そしてちーちゃん一家は、春休みのうちに、お隣ではなく、ちょうど空き家になってた斜め向かいの家に越してきた。

 「ちーちゃんっ!」

 待ちきれず、ちーちゃんの家に“転居祝い”のお菓子を持って飛び込んだ私は。
 約2年半ぶりに、ちーちゃんと再会した。

 「…久しぶり」

 そう答えるちーちゃんは、随分、背が高くなっていた。

 そして―――まるで別人のように、目つきの鋭い、無表情なお兄さんに成長していた。


***


 「ああ、千洋(ちひろ)? …うーん、そうなのよね。中1の終わり頃から、急に目つきが悪くなっちゃって」
 そう言って、ちーちゃんのお姉さんはケーキを口に運んだ。
 お姉さんは、今も東京で暮らし、東京の大学に通っている。今日こっちの家にいるのは、夏休みで帰ってきてるから。お姉さんと話すのも、引っ越しちゃって以来だ。
 「なんであんなに無愛想になっちゃったの?」
 「うーん…理由は分かんないけどね、もしかしたら、東京が合わなかったのかも。あのノンビリ屋には」
 「えっ」
 「今回の転勤も、千洋が高校受験迫ってたから、お父さんだけ単身赴任させて、あたし達家族は東京に残るか、って話だったのよ、最初は。でも、千洋にそう話したら、あの子、お父さんと一緒にこっちに戻りたい、って。ま、お母さんも、炊事洗濯できないお父さんを単身赴任させるより、あたしを女子寮に放り込む方がマシだと思ったんでしょ。それで、あたし以外がこっちに戻ることになった訳」
 「へえぇ…知らなかったぁ」
 初めて聞いた話に、素直にそう相槌を打ったら、お姉さんの目が驚いたように丸くなった。
 「何、そんな程度の話も、千洋から聞いてないの?」
 ……う…っ、墓穴。
 私は、気まずくなって、食べかけのケーキに視線を落としてしまった。
 「…香菜(かな)ちゃん? もう7月だよ?」
 「…そ、そうなんだけど…」
 「やぁだ、あんなに千洋と仲良かったのに―――そんな話すらしないほど、仲悪くなっちゃったの?」
 「…うー…、ていうか…」
 どう言えばいいんだか―――と私が迷っていたら、玄関で、ドアが閉まる音がした。

 ―――ちーちゃんだ。

 廊下を歩いてくる足音で、すぐ分かる。
 ちーちゃんが来ると思うと、なんだか変に緊張してきてしまう。ケーキ見つめたまま固まっていたら、間もなく、廊下からちーちゃんが顔を覗かせた。
 「あ、お帰り、千洋」
 お姉さんの声に、反射的に、顔を上げる。
 上げると同時に、愛想のない顔をしたブレザー姿のちーちゃんとばっちり目が合って、ドキリとしてしまった。
 「香菜、もう来てたんだ」
 「う…うんっ、お、お帰りちーちゃん」
 「うん。じゃあ、着替えてくる」
 ほとんど表情を変えないまま、ちーちゃんはそう言って、姿を消した。遠ざかり、階段を上るトントンという足音を聞きながら、私は緊張を解き、はーっと大きく息を吐き出した。
 「…確かに、昔と比べると無愛想だけど…」
 そんな私の様子を見て、お姉さんは眉をひそめ、首を傾げた。
 「そこまで緊張するもん? 幼馴染じゃないの、香菜ちゃんと千洋は」
 「…そーなんだけど、なんか―――ああいうちーちゃんとは、どう接していいか、分かんなくて」
 「愛想ない千洋は、嫌いになっちゃった?」
 「ううん、そんなことない」
 それだけは、はっきり言える。私は顔を上げて、きっぱりお姉さんに言い切った。
 「口数少なくなっちゃっても、笑わなくなっても、ちーちゃんはちーちゃんだもん。嫌いになったりしないっ。ただ……」
 「ただ?」
 「…昔のちーちゃんは、笑顔がデフォルト状態だったから、ほとんど笑わないちーちゃんに、慣れてないだけ」

 …うん。なんか、慣れない。
 慣れなくて―――何考えてるか分かんなくて、不安なだけなんだ。

***

 「ほら、このthatは、この赤線の部分を指してるから―――…」
 「あ、そうか」
 「ん。じゃ、書き直して」

 ―――ちーちゃんは、私が昔みたいに、遊びに来たり勉強教えてもらったりしてること、どう思ってるんだろう?
 カリカリとノートにシャープペン走らせながら、チラッと、斜め横に座るちーちゃんの横顔を盗み見る。
 嫌な顔なんて全然せずに、当たり前みたいに受け入れてくれてるけど……内心、迷惑だったりして。
 引っ越す前だって、たった2回キスしただけで、ただの幼馴染と全然変わらない間柄だった。じゃあ付き合おうか、なんて話をした訳じゃないし……だから、私は別に、ちーちゃんの彼女って訳じゃなかったのかもしれない。
 でも、私の中の“好き”は、今だって変わってない。
 じゃあ―――ちーちゃんは?
 ちーちゃんの中の“好き”は、もうとっくに無くなってて―――だから、手紙の返事もしなくなってて―――でも、私がまだしつこく昔みたいに接しようとするから、仕方なく私に合わせてるだけなのかも。ちーちゃん、優しいから、わざと無愛想な顔して、私がちーちゃん嫌いになるのを待ってるのかも。
 だって。
 こっちに戻ってきてから、もう4ヶ月―――ちーちゃんは一言も言ってくれない。返事をくれなくなった理由も、「ごめんね」の一言も。

 「……香菜?」
 「えっ」
 名前を呼ばれて、ハッ、と我に返った。
 いつの間にか、盗み見てた筈が、宿題そっちのけでちーちゃんの顔を見つめていたらしい。ちーちゃんが、少し眉をひそめて私の顔を怪訝そうに見ていた。
 「僕の顔見てても、英語の宿題は片付かないよ?」
 「ごっ、ごめん!」
 慌てて、ノートに視線を落とした。一体、どの位の時間、ちーちゃんの顔を見てたんだろう…。考えるだけで恥ずかしい。
 「集中力ないねぇ…。暑さボケ?」
 「…そ…そんなもん、かな」
 「昔の香菜は、もっとシャキッとしてたのに―――受験が心配だな。どこ受けるの」
 「え? ちーちゃんの高校」

 言っちゃってから―――しまった、と思った。
 ちーちゃんと同じ高校狙ってるのは、黙ってたのに……ちーちゃんが、どんなリアクションするか、怖い。だって、もし私のこと嫌いになってたら、私が同じ高校狙ってる、なんて聞いたら“鬱陶しい”って思うかもしれないもの。

 目一杯後悔しつつ、顔を上げる。
 すると、そこにあったのは、ちーちゃんの驚いたような顔だった。
 キョトン、と目を丸くして、私の顔を見ているその顔は―――ちょっとだけ、昔のままのちーちゃんを彷彿させて、胸が少しだけ高鳴った。
 「え…っ、僕、の?」
 「えーと…うん、一応。あの…無理、かな。レベル高すぎ?」
 「…や、そんなことは、ないと思うけど…」
 「……」
 「…………」
 なんか、よく分からないけど。
 ちーちゃんは、なんだかうろたえたみたいに、視線をあちこちに彷徨わせた挙句、手元の参考書にわざとらしく視線落として、言った。
 「…で、書けた? 問6」
 「わっ、ま、まだ!」
 また慌てて、ノートに向かう。早く書かなきゃ、という焦りで、私は、ちーちゃんが何をそんなに驚いていたのか、という疑問を忘れてしまった。
 それにしても…たった1行の英文に、一体どんだけかかってるんだ、私は。ちーちゃんは「そんなことないと思う」って言ってくれたけど…む、無理かもしれないなぁ、あの高校。昔から成績良かったちーちゃんが通ってる学校だもんなぁ…。

 「―――そうだ、香菜」
 最後のピリオドを書き終えると同時に、そっけない口調で、ちーちゃんが言った。
 「日曜日の夏祭り、誰か一緒に行く人いる?」
 「……」
 思わず、がばっ、と顔を上げてしまった。
 夏祭り―――ご近所の神社で、毎年夏休みに入る最初の日曜日に開かれるお祭りのことだ。以前は毎年、ちーちゃんと一緒に行ってたんだけど……今年は、もう無理なのかな、なんて思ってた。
 で、でも…、もしかして、これは。
 無意識に、シャープペン握り締める手に、力が入ってしまう。シャープペンをへし折る位の勢いで、私はちーちゃんに訴えた。
 「いっ、いる訳、ないじゃないっ!」
 勢いが強すぎたのか、ちーちゃんが、ギョッとした顔で、少しのけぞる。それでもめげずに、私は力説した。
 「夏祭りといえばちーちゃん、ちーちゃんといえば夏祭り! 私には、夏祭りとちーちゃんは1セットなんだものっ。だ、だから…去年だって、家族全員行ったけど、私だけ拗ねて家で留守番してたんだからね!」
 「…そ…そっか。それは―――ごめん」
 「いいの! 今年一緒に行ってくれれば!」

 あ、バカ。

 誘ってくれそうなムードだったのに―――何自分から誘ってるんだ、私は。

 自分のバカ正直さを呪ったけれど、あとのまつり。握りこぶし状態で詰め寄ってた私は、引き攣った表情のまま固まった。
 そんな私に、ちーちゃんは暫し、呆気にとられたような顔をしていたけれど。

 「……っく……、あ、あはははははは」
 「―――…」

 吹き出して―――可笑しそうに、思いっきり、笑った。


 …懐かしーい……。
 ほんとに、懐かしい。2年半ぶりのちーちゃんの笑顔に、私の胸は、またきゅっとときめいた。


***


 週末。
 夏祭りは、今年もかなりの人出になっていた。
 家族連れ、友達同士、カップル―――いろんな人々で、神社の境内から続く道路が埋め尽くされている中。

 「…えーん……ちーちゃぁん…」
 私は、迷子になっていた。

 …あ…甘かった。こんなに人だらけだったっけ、このお祭りって。
 昔はね、ちーちゃんがいつも手を繋いでいてくれたから、多少混んでようが、多少背が低かろうが、全然問題なかったんだ。ちーちゃんの手さえ握ってれば、ちーちゃんとはぐれる心配はなかったから。
 でも、さすがに今年は、手を繋ぐ訳にはいかなかった。
 なんていうか―――2年半のブランクがあったせいもあるけど、大人びてしまったちーちゃんとは、もう、無邪気に手を繋げないムードで。まあ…それを言うならちーちゃんの方も、子供同士で手を繋いでた時のノリで手を繋ぐのは、無理だったのかもしれないけど。
 ガキ大将に飛び蹴りしてた私は、こんなワンピースとか、着るようになっちゃったし。
 可愛い子犬だったちーちゃんも…背の高い、滅多に笑わない高校生に、なっちゃったし。

 「…どこ行っちゃったのー、ちーちゃん…」
 人ごみにちょっとずつ流されながら、ちーちゃんの姿を探す。直前に買ったかき氷で、周りの人に迷惑かけちゃわないよう気をつけながら。
 そしたら。

 「おじょーちゃん、迷子?」
 突如、背後から、誰かに声をかけられた。
 条件反射で振り向く。そこにいたのは―――…。
 「……」
 思わず、言葉を失ってしまう位に―――ものすごーく柄の悪そうな、男の人だった。
 アロハ、じゃないんだけど…なんだろう、この服。模様が一杯入ってて、しかもサテンみたいにツルツルピカピカしてて。それに、ああ…趣味悪ーい、金ピカのネックレス。顔立ちからして、ちーちゃんのお姉さんと同じ20歳そこそこだと思うけど、服装の趣味だけ見たら、今時の若者との共通点て1ヶ所もないかも…。
 いや、そんなことより。
 ―――この格好って、どう考えてもヤクザ……ううん、チンピラって奴だよね…?
 「迷子? 彼氏とはぐれちゃった?」
 「…え、えっと…」
 すんごい笑顔で言ってるけど…親切で言ってるのかなぁ?
 人間、外見で判断しちゃ駄目なんだ、ってよく言うし。親切で声かけてくれたんなら、今、胡散臭そうな目で見ちゃったのって失礼だったかも。
 と、ちょっとだけ思った時。
 「1人ならさぁ、一緒に回んねぇ? 夏祭り」
 「……」
 …親切じゃなく、ナンパだ、これは。
 無視して逃げ出そうと思ったけど、この人出じゃ1メートルもしないうちに追いつかれちゃうし、下手に動くとちーちゃんに見つけてもらえない。「こういう場合は反応を返しちゃ駄目なのよ」と、昔、ちーちゃんのお姉さんが言ってたのを思い出した私は、聞こえなかったフリしてそっぽを向き、堅く口を閉ざした。
 「あっ、なになに、警戒してる? だいじょーぶ、変なことなんて全然考えてないから」
 「……」
 「俺ってこう見えても、親切なのよ〜? ほら、1人でぼーっと突っ立ってても面白くないじゃん。悪いこと言わないから俺と―――…」

 軽薄に喋っていたチンピラの言葉が、突如、途切れた。
 「?」
 不審に思い、そっぽ向けてた視線を、派手なシャツの上に乗っかった顔に向ける。それで初めて、さっきまでニヘラニヘラ笑ってたチンピラの表情が凍り付いてることに気づいた。
 顔が引き攣りまくっているチンピラの視線は、私の背後に向けられている。
 何見て固まってるんだろう―――そう思って振り返った私は、次の瞬間、チンピラと一緒に固まった。

 背後にいたのは、ちーちゃんだった。
 ただし、私の知ってるちーちゃんじゃなく―――その殺気だけで殺されちゃいそうなほど、極悪非道な目つきをしている、ちーちゃんだった。

 「―――…」
 3人の間に、沈黙が流れる。
 けれど、その沈黙の意味は、三者三様―――ちーちゃんは怒っているのだし、私はビックリしすぎて声が出ないのだし…チンピラさんは、多分、命の危険を感じてるのだろう。
 その沈黙を破ったのは、ヒクヒクと作り笑いに頬を引き攣らせた、チンピラだった。
 「よ…よ…よかった、ねぇー。カ、カレシ君、見つかって」
 「……」
 「ん、んじゃ、さいなら」
 その一言とともに。
 チンピラは、係わり合いになりたくありません、とばかりに必死に視線を逸らすと、逃げるように人ごみの中へと消えていった。

 ―――本職が逃げ出したくなるようなガン飛ばしするちーちゃんって…。
 無愛想になった、とは思ってたけど―――あまりの変貌振りに、クラクラしちゃうよ。

 「…大丈夫? 香菜」
 憮然とした、けれど少し心配そうな声に、チンピラを見送ってた私は振り向いた。
 ちーちゃんの殺人級ガンつけは、無事収まっていた。けれど、やっぱり不機嫌なんだろう。眉間には皺が寄り、目つきも穏やかではなかった。
 「う…、うん。大丈夫。ありがと、ちーちゃん」
 「ちょっと、露店の裏手で休ませてもらおう。ほら、」
 「!」
 そう言って、ちーちゃんが、私の手を掴んだ。
 心臓が、跳ねる。
 昔は、当たり前みたいに繋いでた手なのに―――人ごみから抜け出すためだって分かってても、ドキドキが止まらない。
 そんな私の気も知らないで、ちーちゃんは、私の手を引いて、人の流れに逆行するように進んでいく。わたあめ屋さんの脇を抜けて、参道の並木の辺りに出るつもりらしい。
 「ま、待って…」
 境内へと向かう人の波に押され気味な私は、必死にちーちゃんについていったけど―――あと少しで人ごみから抜けられる、というところで、ハプニングが起きた。
 「! きゃあっ!」
 ドン、と通行客が派手に背中にぶつかった。
 そのせいで、私は、片手はちーちゃんと繋いだまま、もう片手はカップ入りかき氷を持ったまま、今にも転んでしまいそうになった。
 「…っ、香菜っ」
 慌てて、ちーちゃんが、支えてくれた。
 私が倒れかけた勢いで、ちーちゃんも1歩、後ろによろめく。と同時に、手にしていたかき氷が、ちーちゃんが着ているTシャツを直撃した。
 「ひゃあああああっ!」
 「うわ、冷たっ」
 ぐしゃ、っと。
 それはもう見事にぐしゃっと、かき氷がまるまる、ちーちゃんのTシャツを濡らす。けれど、転びそうになった勢いのままよろけた私達は、かき氷にショックを受けているうちに、無事、人ごみを離脱してわたあめ屋の脇に脱出できた。
 「ごぉめえええぇん、ちーちゃん! 大丈夫!?」
 「だ、大丈夫…」
 「と、とにかく、こっち行こ?」
 今度は私が、ちーちゃんを引っ張る。露店の道具や発電機が立ち並ぶ中をすり抜け、荷物置き場にされてしまっている並木の下へと逃げ込んだ。
 中身があらかた落ちてしまったかき氷のカップは、傍にあったゴミ箱に捨てた。慌ててポシェットからハンカチを出した私は、ちーちゃんのTシャツの裾を掴んだ。
 「うひゃー…、シロップでピンクに染まっちゃってる…。ごめんねぇ、ちーちゃん。ほんとに」
 Tシャツの裾をちょっと引っ張るようにして、ハンカチでポンポンと叩くように拭く。ちーちゃんは、あたふたした様子で、Tシャツ握ってる私の手を制しようとした。
 「い、いいって、香菜、ほんとに」
 「そんな訳にはいかないよ。あー…、背中にまで回っちゃってる。ちーちゃん、ちょっと後ろ向いて」
 「えっ」
 何故か一瞬、ちーちゃんの声が、硬くなった気がした。
 けれど、気にせず、ちーちゃんの背中側に回って、Tシャツをぐい、と引き上げる。
 「うわ、背中もピンクに染まっちゃってるなー。これって、洗濯すれば取れ……」

 洗濯すれば、取れるのかな。
 そう言おうとした私の手が、止まった。

 「―――……」
 染みにならないうちに、拭かなくちゃ。
 その思いだけで、必死にたくし上げてしまった、ちーちゃんのTシャツ。そのせいで、ちーちゃんはいつの間にか、背中が胸の辺りまで露出してしまっていた。
 そして、むき出しになった、その背中には―――小さいけれど、痛々しい、丸い形の火傷の痕が1つ、あった。

 「…ちー…、ちゃん?」
 「……」
 「何、この火傷」
 「…………」
 「だって、この火傷の痕って、」

 なんだか―――煙草を押し付けられた痕に、見えるんだけど。

 「…ごめん、香菜」
 「……」
 「ごめん……」

 呆然とする私に―――ちーちゃんは、何故か、消え入るような声で何度も謝った。

 

 

 「…東京行ってすぐ位から、いじめに遭ってたんだ。本当は」
 少し落ち着いて、2人並んで木に寄りかかると同時に、ちーちゃんはそう切り出した。
 「香菜も知ってのとおり、僕って昔から、ガキ大将に苛められやすいタイプだったからさ。しかも、地方から途中転入したばかり、ときてるから、格好の餌食にされちゃって―――最初は大したことじゃなかったけど、2年になってからは、殴られたりするようになってね」
 「…な…、殴られたの? ちーちゃんが?」
 「うん。…情けないけど」
 ちーちゃんが、弱々しく笑う。
 この笑い方は、私も昔、何度か見たことがある笑い方だ。ガキ大将に苛められてるちーちゃんを、私が助けてあげた時。「大丈夫?」と、ちーちゃんの服についた埃をはたき落とす私にちーちゃんが見せた笑みが、やっぱりこの笑みだった。
 「どんどん、殺伐とした気分になっちゃってね―――自分では普通にしてるつもりなのに、目つきがどんどん悪くなってたみたいで。そうすると、もっと過激な連中が目をつけてくるんだよ。“おい、お前、今俺にガンつけただろ”とかって」
 「じゃ…あ、その火傷は…」
 「―――中3になってすぐ、カツアゲしようとした奴らが、僕がお金持ってなかったことに腹立てて、腹いせにやったやつ」
 「酷い―――!!」
 「うん、酷いよね。だから、」
 そこで、ちょっと言葉を切って。
 ちーちゃんは、はーっと大きなため息をひとつつくと、苦笑を浮かべた。
 「だから―――それから3日後、その中のリーダー格と偶然会った時にさ。我慢できなくて、殴りかかっちゃったんだ」
 「えっ」
 …殴りかかった?
 「ち、ちーちゃんが?」
 「うん」
 「……」
 な…、なんて、無謀な。
 青褪める私が想像したのは、無謀にも殴りかかったちーちゃんが、もっとコテンパンにされてしまうシーンだった。けれど、ちーちゃんは少し笑い、思ってもみなかったことを私に告げた。
 「びっくりしたよ。無我夢中で掴みかかって、闇雲に暴れたらさ―――ふと我に返った時、顔の造作も分からなくなった相手が、足元に転がってたから」
 「―――……」
 「…僕って、実は喧嘩、強かったみたい」

 …う…っそ。

 でも―――まいったなぁ、という顔で、何とも言い難い苦笑いを浮かべているちーちゃんは、到底、冗談を言っている顔には見えない。
 このちーちゃんが、煙草の火を押し付けるような極悪人を、顔の造作が分からなくなるほど、ボコボコにするなんて―――いや、できるなんて。

 「し…信じられない…」
 「…うん。僕も、信じられない」
 「……」
 「僕も、火傷のことを誰かに言ったりしなかったし―――そいつも、僕みたいな見た目が弱々しそうな奴にやられたなんて、恥ずかしくて言えなかったんだと思うけど、お互い、訴えたり、先生に言いつけたりはしなかった。でも…噂は、しっかり裏で広がってたんだろうなぁ…」
 「…ど…どう、なったの?」
 「そいつは二度と僕にケチつけてこなかったし、他の連中も大人しくなった。むしろ、昨日まで肩で風切って歩いてた奴らが、僕に怯えるようになっちゃって―――なんか、このまま東京いたら、僕が僕じゃない誰かになっちゃう気がした」
 そう言って、短く息をついたちーちゃんは、改めて私の目を見据えた。
 「だから、転勤決まった時、こっちに戻りたい、って言ったんだ」
 「……」
 「いじめに遭って荒んじゃった僕じゃなく―――香菜が“好き”って言ってくれた僕に、早く戻りたくて」
 「…ちー…ちゃん…」
 「…ごめん。手紙、返事しなくなって。…怖かったんだ。手紙の中の僕も、どんどん変わっていってる気がして―――香菜に幻滅されるのが怖くて、出せなく、なったんだ」

 最初は、ビックリばかりだったけど。
 ビックリが通り過ぎると―――涙が、出てきた。

 話を聞いた今なら、分かる。ちーちゃんからの手紙が減ったのは、いじめがどんどんエスカレートしていったからだ。
 ちーちゃんは、そんなこと、一言も手紙には書いてなかった。友達もできたよ、元気にしてるよ―――そんなことしか、書いて寄越さなかった。かっこ悪いと思ったからか、私に心配をかけまいとしたからか…ずっと、耐えてたんだ。誰にも言わず、1人で。
 耐えて、耐えて、最後まで耐えて。
 そして―――自分の力で、勝ち抜いたんだ。

 ぐい、と、浮かんできた涙を手の甲で拭った私は、
 「…凄いなぁ、ちーちゃんって…」
 そう呟き、大きく息をついた。
 まっすぐ、ちーちゃんを見据える。少し驚いた顔のちーちゃんに、私は満面の笑みを返した。
 「私なんかに守られなきゃ駄目な位、弱々しいと思ってたのに―――そんないじめ、私だったら、1日だって耐えられない。なのにちーちゃんは、辛いのにずっと耐えて、耐えて……こんな酷い火傷を負わされても、ショックで不登校になるんじゃなく、逆に相手を叩きのめしちゃうなんて。…ちーちゃんて、強いんだね。“心”が」
 「……」
 「そういうちーちゃん、私、大好き」
 「香菜、」
 「それにちーちゃん、今も、優しいもの」
 そう言って。
 私は、ちーちゃんの足元を指差した。

 ちーちゃんの、スニーカー履いた足から離れること、約30センチ。
 名前も分からない小さな草花が、ぽつん、と咲いている。
 ちーちゃんの傷跡にショックを受けながらも、私は見逃さなかった。さっき、この木まで歩いてきた時―――ちーちゃんが、この花を踏まないように、花を避けて歩いたシーンを。

 「…全然、変わってないよ」
 「……」
 「荒んでなんかいない。今も昔も優しくて―――そして、昔より今のちーちゃんの方が、強くなっただけだよ」


 私のその言葉に、ちーちゃんが見せた笑み。
 その笑みは、私のハートを射止めた、あの聖母マリアの笑顔ではなかった。

 けれど、昔から変わらない柔らかさと、男っぽい骨太さの入り混じった、“今”のちーちゃんが見せた笑みに―――私は改めて、恋に落ちた気がした。

今回のリクエスト、「睨みつけるとやくざも逃げる男と、その男の笑顔に惚れちゃった女のお話」から受ける印象とは、ちょっと違う話になりましたね(汗)
男と女というより「男の子と女の子」、元々笑顔に惚れてた相手が「睨みつけるとやくざも逃げるようになってしまった」。
……ま、まあ、いいか。これで良しとして下さい(^^;
前回が究極のギャグだったから、今回はほんわか、でもちょっぴりシリアスにしてみました。

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